私は知らない街の橋を渡って山の方へ向かっていた。次第に日が暮れてきて心細くなり、高台に建つショッピングモールに入った。おそらくあまり立地が良くないからだろう、中はがらんとして活気がみられず、テナントは募集中だらけで、ここの経営がうまくいっていないのは明らかだった。モール内は外よりも肌寒い空気が流れているくらいだが、それでもすぐに夜になるから建物の中に居られるのはありがたい。エスカレーターに乗って上の階へいくと、空港の待合室のような構造のフロアについた。吊るされたモニターから海外のアート系アニメ映画が流れている。運良く始まったばかりのようだ。私は椅子に座ってそれを眺めた。客は私ともう1人しかいない。

映画はトロッコに乗った犬と子供が金山を目指すストーリーだった。そのトロッコは自立した人格を持っていて、レールがないところを走り主人公を案内する。物語が盛り上がりをみせはじめたとき、フロア正面から職員の女性が現れた。彼女は首をゆっくりと左右に、我々を見渡す仕草をする。それからパイプ椅子を引いて座ったが、その際に床をひっかく大きな音がなった。いつの間にか周りは満席になっている。彼女は体を斜めに頬杖をついてこちらをみて微笑んだ。客の心理は彼女の動きに支配されているようで、やっと寛ぐことを許されたというように緊張を解き、楽な姿勢に移る。全員が一斉に座りなおしたものだから合わさって大きな音が響き、しばらく映画の台詞が聞き取れなかった。

 

映画が終わり「お手元の紙を係員に提出願います」とスピーカーからアナウンスが流れた。手に持っているこの紙、パンフレットにしてはつくりが粗雑でおかしいと思っていたが、テスト用紙だったのか。間を置かず係員がやってきて、紙を回収しはじめた。どうやら映画を観ている間に書くべきだったようで、すでにほとんどの人が木箱に紙を納めている。

紙をみると、最後に「実在と不在について」とだけ書かれた問題があった。先ほどの映画を観た上で、実在と不在をどう考えるかが問われているらしい。映画を思い出そうとするが早くも記憶がぼやけている。もう試験官は私の前を通り過ぎてしまった。はやく書かないといけない。

「不在とは、否定の言葉、最終的には〈死〉によって固定され、それこそが内面において実在に反転する逆説が起こる。実在は必ず不在へと向かい、いつか終わりが訪れる、けれどもそれを補うように不在はひきつづき人の内に残るのである」というような答えが頭に浮かぶ。実在と不在は対立しながらも相互に補完しあっている。他の多くの概念と同じように。そこを簡潔に書けば良い。

とにかく自分なりの答えはひねり出せた。私は木箱をもった試験官を追って走った。しかし歩いているはずの男になぜか追いつけない。それどころかどんどん離されてついには見失ってしまった。それでも書くだけは書いておきたいと、紙を壁に当ててペンを走らせたが、インクが切れている。壁に寄りかかる私を、3人の男子学生が追い越していった。

 

私はその3人を頼ってあとを歩くことにした。彼らの中にはテストが終わったときの友達同士にうまれがちな、いかに試験が上手くいかなかったかを語りあう雰囲気があり、リーダー格と思われる男がとりわけ大きな声で一部空欄で提出したことを大げさに嘆いてみせる。他の2人も自分の無能を強調するが、ここでダメさが競われているとすれば、テスト用紙を提出すらできていない私が最強ではないか。そう考えて「俺なんかさ。ほら、これ」と紙を振ると、3人は振りむいて、静かに憐れみの目をこちらへ向けた。いくら何でもそれは洒落にならないよ、という心の声が聞こえるようだ。いたたまれない。リーダーが空気を変えようと「お前らしいな」と言って私の背中を叩いて、それで少し救われた気になった。お前「らしい」ということは、私は彼らの知り合いなのだろう。

3人に混ざって歩いていたが、話すのは殆どがリーダーで、内容は自虐ばかりだった。どうやらテストどうこうに関係せず、彼はあらゆるエピソードを悲観的な角度から饒舌に語るタイプのようだ。そこからは反転した自己愛の匂いを嗅ぎとれる。私はその幼さに好感を覚えた。

我々4人は寮に向かい、狭い部屋で宴会が始まった。リーダーはコンビニのビニール袋からたくさんの駄菓子を取りだして、ひとつひとつを擬人化して紹介をはじめた。

「さてさて、この子はやけに平べったい身なりをしているけれども自ら選んでこうなったのか?いやいやそれには深いわけが、不幸な生い立ちが隠されているのです。聞いてください!このよっちゃんイカが生まれたのは南の綺麗な深い海──」といった調子で、長々と講釈を垂れる。

これはお決まりのネタらしく、他の2人はほどほどに笑って突っ込みはしない。なんだかとても懐かしい。私にもこのように友達とナンセンスな内輪ネタをたのしんだ頃があったものだ。しかし、聞けば聞くほど、自分が本当には彼らの内輪にいないと思い知らされ、ここを去らないといけないという考えが強くなっていった。私はそれを実行した。

 

来た道を引き返して歩いていると、ネット番組の収録をしているところに出くわした。さっきの3人と同じくらいの年頃の男が、女子アナにゲームの基本的な仕様を教えている。

「武器のタイプ、防具、サブの武器、乗り物、性格をひとつずつ選んでくださいね」と男はいうが、アナウンサーは明らかにゲームに興味がない。義務感から話を合わせてはいるが、なぜそんなものを一々選ばなくてならないのかと不満を持っていることが私にはわかる。男はアナウンサーのやる気のなさを理解力の拙さと取り違えて、ますます説明に力を入れる。

「要素ひとつずつに意味があるんです。これは我々協力するゲームですから、考えの一致が必要でもあって、だからなんというか、やってるうちに人間的にもわかりあったり、お互いに惹き合う部分が出てきたりするんですよね。武器を選ぶところからもうそれが始まっているとも言えて」と、男はアナウンサーと異性として仲良くなりたいと暗に仄めかすようにも受け取れる、やや踏み越えた発言を続ける。

男の語りは明るく冗談めかされてはいるが、アナウンサーの表情は重く、結果的にそれが男の軽薄さをさらに浮き立たせることになっていた。いたたまれない。しかし私にはこのすれ違いをどうすることもできない。

 

逃げ出すようにその場を離れ、デパートの入り口にたどり着いた。ショッピングモールの出口がデパートの入り口になっているのは妙なものだが、誰も気にしている人はいない。入り口には40歳くらいの女性が座って、デパートに入る人ひとりひとりに券をちぎって渡している。入場券なら客が店に渡すのが普通だが、はんたいに店員が客に差し出すのはみたことがない。どういうことなんだろう。その疑問を見透かしたかのように、受付の女性が私に話しかける。

「はい、この券には何の意味もないんです。しかし当百貨店がオープンした時からの慣例でして、これには90年の伝統がございます。どうみても無意味なことを若い女性にやらせるのは、人をお飾りに縛る悪習ではないか。紙も無駄に消費される。とそういったご意見も多く、今ではむしろそれが多数派なのですが……そうですね。それは尤もなご意見です。

私は入社したときにこの発券係をしておりました。数年勤めて別な部署に配属されましたが、この仕事が好きで。この券には割引や広告といった役目をつけるのは禁止されて、つまりなんの効力も持たない紙切れに過ぎません。だから受け取って頂けないケースも少なくはなかったのですが、それでも私は努力して、うまくお手渡しできるタイミングを研究し、なめらかな身のこなしを磨きました。これには少々自信があります」

「なるほど」

「ですので、券の廃止の動きが始まったときに私は思い切って反対したんですね。残すべきです、こんな券は無意味かもしれないけれど、でも存在するからには何らかの必然性があってはじまった事なのではないかと。その必然性がなんなのかは私にもうまく説明ができません。もはや誰も知り得ないのかもしれない。けれど心の奥から、券の伝統を失うのは惜しいという声が聞こえてきたんです。そう直訴して、今また発券係に戻ることができました。私で最後になるのかもしれないですけどね。でも今こうして券を切れることを幸せに思ってるんです」

ガラス越しにみるデパートの中はショッピングモールより明るく華やかで、客の数も多いようだった。けれども中に入りたい気持ちはあまり起きず、私はここでこの人と、もう少し深く話してみたいと思った。意味がなくて、不思議な必然性を秘めた入場券について。

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