テレビ番組にゲストとして出演している。80歳くらいの老哲学者に向けて3人の若者が順に質問していく企画で、私はその2番目の質問者に選ばれているようだ。ゆったりとした椅子に座った学者は、1人目の問いに早口で答え、まもなく自分の番が回ってきた。

問いは前もって考えてきたようにはっきりと頭に浮かんでいた。その内容は、犬が言葉を解する限界と、政治的空白が起きた土地でどのように人々が秩序を再構築しはじめるのかについて。二者は似た構造をもっているのでアナロジーから見えてくるものがあるのではないか、と説明しようとするが、その2つをうまく結びつけることができない。良いテーマを提示している確信はあるのに、話すほどに言葉は核心から外れてしまう。もどかしさを拭いきれないまま尻すぼみに話し終えて、言い訳するように「いや、ちょっとぼんやりした話になってすみません」と私は付け加えた。そこで休憩に入った。

CM中、学者は私と目を合わせず、横を向いたまま「もうちょっと簡潔に言ってもらわないとな。時間を考えて」と言った。

番組が始まってからずっと、この先生は人とまともに対話する気がない、というかできなくなってしまっているのではないかと感じていたが、見当外れではなかったようだ。彼の意識は番組をトラブルなく終えることにあり、問答の内容は飾りに過ぎない。どのような答えをもらえるかについて興味が消えてしまった私は、CM明けを待たずに席を立ち、スタジオをあとにした。

 

そのまま帰宅すると、家のなかに知らない人が10人ほどいた。かれらは大きな荷物を床において、勝手に台所をつかって茶をすすり、ここで泊まる態度をみせている。私の寝室には30歳くらいの男がひとり居て、部屋の中央でバンドネオンを弾いていた。奇妙なことにそこには木琴に似た打楽器の響きが含まれている。私は流れる曲よりも彼のなめらかな指の動きの方に感銘をうけた。壁にはさまざまな種類のギターが立てかけてあり、それをひとつ取ってウクレレを弾くやり方で4本弦だけ使って演奏した。

「その弾き方だとルート音が最低音として出せないんじゃないかな」と男は尋ねた。

「そのとおりですよ。これはウクレレの弾き方で、ウクレレはそういう楽器ですからね」と私は言った。男はそれについて考えを巡らせていたようだったが、そのまま自分のなかに閉じこもった風になり、会話はそれで終わった。根音を決められない不完全性を突かれ、なにか問いただされているような気がして少しもやもやしたものが残ったが、それについてどう話せば良いのか私にはわからなかった。

あらためて自分の部屋をみると、今までとはすっかり内装が変わっていることに気づいた。これはいま目の前のいる男がやった仕事らしい。壁にはタペストリーや流木が飾られ、小さな花瓶には新鮮な花が生けられているが、いずれも趣味が良く、このまま飲食店にしても問題なさそうな清潔さもある。他の部屋に入ってもやはり、それぞれが違うテイストで装飾されていて、なるほどここにいる人たちはみんな改装業者だったんだなと気がついた。ヨーロッパには人の家を無断でねぐらにするかわりに、内装を整えて去っていく集団があるという。その流行がついに日本にも来たのだろう。楽しくやっているかれらを追い出す気にはならないが、しかし今日寝る場所がないのは困ったことだと思う。

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