宇宙人の手によって心体を改造され超人化したマジシャンのナポレオンズNHKをジャックし、我々はこれから1日にひとりずつ日本人を狩っていく、とテレビ放送で宣言した。千里眼を与えられたボナ植木(眼鏡をかけた方)が犠牲者をえらび、瞬間移動能力をもつパルト小石はあっという間に遠くのターゲットを仕留めることができる。見慣れない形に曲がった黒いナイフを刺して。

「ご存知のようにわれわれは毎日一本の映画を観ている。仕事は映画館を出たすぐあと執り行われるので、みなさん覚悟しておくように」と2人は言った。

大変なことになったものだ。

薬局のテレビ画面にはボナ植木の顔がアップで映されて、その目がまっすぐに私を見つめているような気がしてくる。いや、これは、ようなと比喩にできるものではなく、どこでも見通せるボナ植木はもしかしたら、たったいま現実にこちらを視界に入れているのかもしれないのだ。そう思うと胸の奥が震えてたまらなくなり、私は薬局をとびだして地下街へ入った。人混みに紛れたなら多少なりともボナ植木の焦点はぼやけるだろう。そう考え歩き続けるが、しかし、いつの間にか人がまばらになってきた。

顔を上げると目の前には地下鉄の改札があり、その近くの壁につけられたモニターに、またしてもナポレオンズの2人……。パルト小石はすこし顎を上げて、独特の高い声でこう言った。

「私がいま手に持っているナイフだが、これに刺されたものは確実に命を失うことになる。つけ加えておくと、ナイフについているこのつまみは、刺されてから死ぬまでの時間を調整するものである。ご想像の通り、当然のことながら、目盛りの数を多く設定すればするほど、死に至る苦しみも長くなるわけだ。みなさん、覚悟しておくように」

こいつはなんて恐ろしいことを言うんだろうと思った。ほとんどパニック状態に陥った私は、階段を駆け上がって地上に出て、ちょうど目の前に止まったバスに飛び乗った。じわじわいたぶられて殺されるのだけは御免被りたい。このバスがどこまでいくか分からないが、とにかく遠くへ逃げなくてはならない。じっとしているのは危険だ。動き続けていれば、あるいはボナ植木の目をごまかせるんではないだろうか。そうではないのかもしれないが、少しでも可能性がある以上、賭けてみない手はない。

バスは夜の橋を渡って、明かりもまばらな田舎道に入っていった。乗客はみな落ち着いた様子で、お菓子の包みをあけてにこやかに行楽気分をみせている者もいる。私にはそれが苛立たしく感じられた。死が迫っているかもしれないのに、この人たちは緊張感を持っていない。ひとり焦っている自分が馬鹿みたいじゃないか、と思ったが、車に揺られているうちに少しずつ私の心も穏やかさを取り戻していった。あらためて状況をみれば、あまり怯えて移動していると却って彼らの目に留まってしまうかもしれないし、それに、まず犠牲者が日本で1人なんて、選ばれるのは宝くじに当たるくらいの奇跡なのだから、それは天災と同じように前向きな諦めをもって付き合うべき問題であるとも言える。

ナポレオンズを打倒する方法がない以上、悲しいことではあるけれど、われわれは確率的な死を受け入れ、受け流して暮らすしかないかもしれない。たしかに、乗客たちの楽観性には見習うところがあるんだろう。と少しずつ考えが変わって来て、私は最終的に、日常へ戻ろう、と思いなおしてバスを降り、来た道を引きかえすことに決めた。

 

進むうちに洒落た和風の街灯が並ぶ商店街に入り込み、そこで豆腐屋のおじさんに声をかけられた。心細い自分は人と会話できるのがありがたく、誘いのまま店に入った。水を張ったステンレス製の巨大な桶に、切り分けられた豆腐が大量に浸かっている。

丸顔の豆腐屋は笑うと余計に福々しくなり、それをみながら安心と空腹感を覚えた。彼がいうには、これからできた豆腐の表面をつるつるに加工するため、豆腐すべてを博多の工場まで輸送するのだという。自分にはここの豆腐はすでに滑らかな肌になっているように見えるが、豆腐屋の判断からはそれはまだ完全とはほど遠いし、少しでも良心のある職人ならそのまま売るなんてとても考えられないのだという。

「1度作った豆腐を送って、また返してもらうんですか」ときくと「そういう事だね。昔からどの豆腐屋も博多頼りなんだよ」とおじさんは教えてくれた。

 

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