動物園。ペンギンとナマケモノの小屋の側にいる。両方の扉は開き、動物たちはそこを自由に出入りできる。腹の部分の毛がレモン色のペンギンがよちよちと寄ってきて(そのとき自分はこの黄色いペンギンを目当てにここに来たことを思い出す)、眺めていると、そのペンギンは体をひねって尾から嘴で脂をとる体勢をとった。すると奇妙なことに、ペンギンの毛の一部はより集まることで淡い緑色に変わって、そこに複雑な紋様が現れた。菊の花に似た造形には、和菓子職人が精巧に仕上げたような機能美があり、ああこれこそが生物の面白さなのだと思った。

ペンギンは伸びを終えるとさっと空を飛び、旋回し、私の腕に止まろうとした。普通よりは小柄なペンギンである。とはいえ、カラスより大きな体をもつ鳥が腕に捕まれば怪我をするかもしれないから、私は懐かれたことを嬉しく思いながらも、腕を隠して身をかわした。

右側にはナマケモノが5匹ほどかたまっている。そのうちの1匹に手を伸ばすと、彼は(雄なのだとなぜかわかった)こちらに身をよせて抱きついてきた。ハグというにはあまりに力が強く、私は拘束されているような状態になった。そのなかでナマケモノの丸い耳たぶを触ると、ほとんど同時に彼の右手も、私の左耳をつまんだ。やはりきつくつねるような加減で、痛いか痛くないかギリギリだったけれど、それでもナマケモノの世界では優しいスキンシップであることが伝わってきたから恐れは感じなかった。隣では、べつなナマケモノが我々のじゃれあうのをみて、長い両腕でしっかり地面をおさえ、ブランコをつくるように体を浮かせ揺らしてみせた。おい、つぎのハグは自分の番だよと主張するように。

 

 

スマホをこちらにかざしながら若い男が近づいてくる。どうやらニコ生で配信中らしい。私はなぜか彼に親しみを覚え、配信をみている人に向けて笑顔をつくってみせる。

黒縁メガネのその男は黙ったままリュックを肩から外し、中にある大学ノートを差し出して「7000円でこれを買ってください」と言う。自作のレシピ帖なんだそうだ。7000円はちょっと高いかな、といって断ると、もう一冊ノートを取り出して開き私に見せてくる。そこには、ひとつひとつのレシピがいかに細かく歴史体系を換骨奪胎して発案されたのかが、図によって記されている。食材、調味料、調理法をべつな大陸から、くまなく組み合わせた多国籍料理のひとつひとつを意味付けしたうえで、それらを新しい定番にまで押し上げてやろう、という計画らしく、たいへん志の高いことが伝わってくる。企てが成功しているかどうかはわからないけれど、少なくともそう伝えようとする意思には切実なものがある。ここにかけた熱量を考えれば7000円くらい安いでしょう、というわけだ。私はそれでも高いと思ったけれど、根負けしてしまい結局お金を払った。

右手をひらき猫の背中に乗せ、そのまま操作できるゲームコントローラーを開発しようとしている。どんなひとから命令されたのかは忘れてしまったけれど、とにかく作業にかからないといけないことは決まっているようだ。

左手に持つコントローラーにはスティックに加えて、なるべく多くのボタンを配置し、右のぶんを補うようにした方がいいだろう。では、猫に当てた右手で、何をどのように操作しよう?

生きものを介した入力系統を作ることができるのか。できたとして安定させるのは難しそうだ──と私は、猫を撫でながらよいアイデアをしぼり出そうとする。でもこれといったものは思いつかない。猫の毛は柔らかく温かい。

夜の公民館で会議を終え、玄関で靴を履こうとしているときに自分が素っ裸であることに気がついた。まわりには作業している女性たちがいて、そのうちの何人かが私の姿をみて「キャーもう!」と叫んだけれど、その声にはびっくりした感情も非難の色もなく、こういうときには「キャーもう!」と、古い漫画のようにわかりやすく返すものだ。という、ただ儀礼的なことばを選んだに過ぎない落ち着きがあって、私はその乾いたトーンをありがたく思った。決まりきったふきだしが現れ、それがクッションになっているのだと。

それで、近くに落ちていた(たぶん彼女たちが洗濯した)大きなTシャツとジーパンを着て外に出た。正面にはあかりの灯った誰もいない公園が寂しそうにしていた。

 

私はいつの間にか広い座敷にいる。中央にごちゃごちゃとおもちゃが集まっているのだけど、それはよくみればバラバラになった鉄道模型で、そばにいた父が「つくるんか?」と訊いてくるから、思わず「うん」とこたえたけれど、じっさいのところ本当に再構成したいのか自分にもわからない。しかし首をたてに振ったからにはやるべきなのだと思い、ジグゾーパズルの始めのようにざっと全体を確認してパーツを組み立て始める。

青色の電車を手にとって、それについているスイッチをおすと、電車自体が動力を持っているようで動き出した。でも線路が完成していないからすぐに脱線し横転してしまう。手さぐりで部品をかきあつめ、つなぎ、伸ばしていくうちに、私は復旧作業に夢中になっていった。

 

そうしていると、屏風の裏から背の高い、薄い髪を茶髪にした、伯父によく似ているが、しかし初めてみる顔のオジサンが顔を出した。

オジサンは線路を完成させる手助けをしてあげるよと私に告げる。彼はおそらく、散らばる部品それぞれがきれいに繋がっていたむかしを知っているのだと思う。私は頼りにできるひとが現れたことに感謝して、オジサンの指針に従おうと決める。

オジサンは部屋の隅にある壊れたプラモデルを指差して「まずこれからやろう」と言う。「これはね、これからつくる鉄道の寝床になる」

それはどうみても車両基地ではなく、自動車のための立体駐車場なのだけど、そのちがいについて私は疑問を持たない。

立体駐車場は複雑な形だし、組み立てなおすのは一苦労だろう。でもすでに自分はこの作業を楽しんでいるのだから、時間さえかければいつか出口がみえるだろうと軽い心持ちでいた。初めにこれさえつくれば、線路はなくても何らかの平穏は訪れるはずだ。

それからしばらく組み立てをつづけ、少し休憩しようと顔をあげたら、オジサンはもう居なくなっていた。あの寂しい公園に行ったのかもしれないと思った。

 

だだっ広い野原の下生えから猫が顔を出し、身を低くしながら近づいてきた。飼い猫のたまに似ているけれど、もっと色素がうすくて模様のない、その正真正銘の白猫は、警戒するようすなく私のそばまで歩き、後ろ足2本で立ちあがり、それからおがむように前足を互いにこすりあわせる──と、その部分から細くて高い、口笛のような澄んだ音が流れはじめた。メロディは祭囃子みたいにくり返すけれど、和というより洋風のあかるい音階をもっている。私は邪魔をしないよう猫の腹のあたりに視線をむけてそれを聴く。つよく吹く風には冬の冷たさがあり、しかし景色は春のやわらかい色に包まれている。白猫はいつまでも演奏をつづけるので私はその場から離れる気になれない。

8人くらいで集まって酒を飲んでいる。ザワザワした声の重なりには暖かさを感じるけれど全員が初対面の様子で、だれの態度もどこかぎこちない。当たりさわりのない話題を選び、摩擦が起きないように気を配る、表層的な社交の時間。そのなかで私は最近発売されたばかりのブーメランを投げている。

そのブーメランはCDの直径を倍ほどにした大きさの、チャクラムとも呼べそうなドーナツ型。おそらくパイン材の板で、手に取ってみれば想像よりずっと軽い。目立たないように手首をつかってそっと投げてみると、それはなめらかな軌道を描いて青い空(それでここが室外だったことを知った)を泳ぎ、ちょうど受け取りやすい手元に返ってきた。2度3度試したが、どれほど当てずっぽうに放ってもぴったりした位置へ、よく懐いた鳥が指に止まるように戻って来る。木は柔らかくてキャッチしたときの痛みもない。

これはすごいな。もしかしたら画期的な発明なのではないか。どこでもいいが、テレビショッピングで、たとえばジャパネットが紹介したならヒットするのは間違いないだろう。そう思い、となりの人に薦めてみた。

ブーメランを受け取った男は、仕方ないからついでにやるか、といった風に、周りと会話しながらブーメランを飛ばす。と、それは空中を彷徨ったあとやはり元の位置に戻るのだが、男はよそ見しているので自分がかわりに取ってやった。もう1度手渡すと、彼は同じように投げる。しかしすぐに興味を失い、ブーメランから意識を逸らしてしまう。だから再び私が手を伸ばして横取りする。彼はお喋りに夢中で、ブーメランの性能を知ろうという気がまるでないのだ。私はそのことについて残念に感じる。一方で、こんなに気の向かない人が投げてもきちんと返ってきたのだから、ブーメランの優秀性はより確かに示されたのだと思う。

我々のやりとりを見ていたべつな男が、伸びのある声で「こりゃいいブーメランだね。河原で遊ぶのに持ってこいじゃない」と言った。彼はおそらくカップルで遊ぶときにいい商品だと言いたいのだろう。私は「そうですね」と返事したけれど、しかし考えてみればこのブーメランは誰かと投げあうというより、けん玉のようにひとりで繰り返すことに完結した道具なのだから、複数人で楽しむのにはあまり向かない物なのではないかと思った。