公園で野球の練習をしている。監督らしき人がボールを投げ、私が受けるのだけど、コントロールが悪いのと球速が速いのでノックを受けているのと同じくらいの緊張感がある。きっと手加減しないのが愛情、みたいなポリシーがあって常に目一杯の人なんだろう。
スピードボールをとりきれず、球は後ろにいた友だちの顔面にぶつかった。友だちは鼻と口から血を流して、顔の骨のどこかが折れているようだった。部員たち5人ほどが彼を囲んで輪をつくり心配している。救急車を呼ぶために私は家に向かった。

家にもどって電話をかけ、また公園に行こうと思ったが、いつの間にか家の中は人だらけで壁さえみえなくなっていた。玄関へ向かおうにも人が波のように押し寄せてまともに歩けない。人々はみんな楽しげで、私にはそれが腹立たしく感じられた。「ちょっと道をあけて」と叫ぼうとするけど声がうまくでない。笑顔の群れはみんな平気でぶつかってくる。
なんとか玄関をでたが、外もやはりお祭り騒ぎで、公園に行く道も険しいものだった。

公園にたどりつくと、そこにはもう誰もいなかった。祭りも終わったらしく、あたりは真っ暗でしんとして、夜の冷気がおりようとしている。私は帰ることにした。

家の玄関をあけると祖母がでてきて私を迎えた。友だちがどうなったか心配なことと、いかにハードで理不尽な一日だったかを話すが、祖母は関心なさそうに「はやく寝たら」とだけ言う。いつの間にか祖母は知らない中年女性といれかわっている。
彼女はどうしてちゃんと話を聞いてくれないのか。なぜ部員は誰も友だちのことを助けようとしなかったのか。群衆は道を譲りあう気持ちもなく人の邪魔をするのかと、笑顔の群集に対する憤りがわきあがって、またそれを聞いてくれる人がいない事、中年女性の態度にも不満を感じた。がそのうち私は、正義感どうこうからというよりはたんに自分が疲れ切っていて「おつかれさま」とか「大変だったね」とか、そういったねぎらいの言葉をかけて欲しいのだと気づいた。それだけなのかと思うと馬鹿馬鹿しくなり、中年女性(元祖母)にたいする感情も消えて落ちつくことができた。彼女が言うとおり、もう今大切なのは休むことだけだ。

冷蔵庫からソーセージを出し、フライパンで焼いた。これを食べたらさっさと寝よう。