知り合いの家を訪ね、私は大きな黒いソファに腰掛けている。かかとに何かあたった感触がしたので覗いてみると、ソファの下にぐるぐる巻きになった電気のコードがみえた。よくみれば部屋には他にも規格外に長いコードがそこかしこ床を這い占領して、これを踏まずに生活するにはかなりの慣れが必要だろうと思われる。

「こんなにコードばっかりだと暮らしにくいんじゃない」というと、知り合いは「コードはね、長いほど家電の性能を良くするんだよ。俺はまだまだ長くできると思ってる」と答えた。え?卵はゆでたあと氷水につけるとむきやすくなるの、知らなかったの、というくらいの常識を教えるときの態度で、そこには私の無知に同情する響きすらある。

彼の部屋に置かれたコードを介する物は、テレビ、冷蔵庫、DVDプレイヤー、照明、など。特別高い性能が必要とされそうなものはあまりない。働きが上がってうれしいのは炊飯器くらいだろうか。しかしコードだらけの家に居るよりはご飯の味が少々落ちる方を俺はとるかな。と言おうと思ったけれど、知人の真剣な顔をみてためらった。これはおそらく信仰の類の選択だから茶化さない方がいい。あらためて部屋をみわたすと、何となくコードがさっきより多くなっている気がする。そんなわけはないのだが、しかしそうとしか思えない。