大きな川を渡るには

夢のなかでよくテレポートする。たとえばぼくは見覚えのない薄暗い部屋にいて、ドアは外からロックされ出ることができない。うろうろと窓を探しているうち、足元に銀色の排水溝をみつけ、そこに顔を近づけ精神を集中するとみるみる体が液状化して、つぎの瞬間どこかの学校の校庭にワープしている。また別な夢では、スコットランドのショッピングモールで道に迷い、心細くあたりを見渡し、カフェの看板に漢字があるのをみつける。それを凝視すると(ちょっとへんな言い方だけど)自分の視界のなかへ、漢字の意味のなかへ吸い込まれ、いつのまにか近所の喫茶店の椅子に座っている──といった風に。
ほとんどの場合、そのような夢をみているときのぼくはこの移動能力を常識的な技ととらえて不思議に思っていない。不思議を感じないのは不思議なようであるけれど、考えてみれば我々の眠りはまず布団から夢の世界へイメージが移ることから始まるわけであり、物理的な境界をこえることを夢の条件のひとつに数えるなら、夢の中でどれだけとっぴな移動しても不自然さを感じないのはむしろ自然なことなのかもしれない。いや、どのていど一般化していいかわからないけど。まったくそんな夢を見ない人や、ワープのたびにびっくりして首をひねったり、あるいは大喜びする人もいるんだろうか。どうなんでしょう。

小学生のころ読んだ本に「川を渡るナメクジ」という話があった。その内容は以下の通り。

川辺の葉の上でじっと動かないナメクジがいる。それを観察していると、そいつの体がどんどん小さくなっていく。誰かが塩をかけたわけでもないのに……。このまま居なくなってしまうのか、と思ったら、おや、なんと対岸に、点ほどの小さなナメクジが出現し、そちらが膨らんでいくではないか。こちらは小さく、あちらは大きく。やがて、こちらは消え、あちらにはそっくりそのまま今まで見ていたナメクジが動きだした。そう、いれかわったのだ!つまりこれは、ナメクジが空気に溶けこみ川を渡ったのです。

その話は小学生向け教材内の豆知識としてすみっこに小さな枠でくくられ、シンプルなイラストが添えられていた、と記憶する。のちに知ったところでは、これはドイツの生物学者が唱えた珍説らしく、どういうわけかそれが過去さまざまな子供向けの本に記載されていたのだそうだ。「ナメクジ忍法」で検索すれば今もいくつかの「目撃談」を読むことができる。きびしく教育的なファクトチェックがあればまず弾かれるたぐいの話だろうけど、昭和はそのへんおおらかだったんですね。

(訂正:あらためて検索したら詳しく調べられている方のレポートをみつけました。それによるとナメクジ忍法はナメクジテレポートとも呼ばれ、大正初期に日本で書かれた、とある心霊研究家の著作が発端となった説が有力なんだそう。かれに影響を受けたのか同時期にもうひとり、鈴木哲太郎という名の警察官が似たことを書いていたのだけど、それを70〜80年代の雑誌がオカルトブームに乗り、箔をつけるため「きちんとした動物学者のいった話である」と、はったりの注釈をつけて広めていたとのことです)

ナメクジの逸話を載せたほうは変わり種をおまけにつけておくか、くらいの軽い気持ちからだったのかもしれない。しかしそれを読んだ子供のぼくは心の底から驚いた。ナメクジおまえ、移動するために溶けるんかいなと。で、以降はかれらに畏敬の念をもって接するようになった。といっても出会ったらじっと見つめるくらいのものだけど。そのうちいつか、おのずから小さくなろうとするナメクジを目撃できるかもしれない。そう期待するとき、私はナメクジの心に大いなる移動の意思をみていたのだった。
強力な念さえあれば、ぬるっとした生きものは空間をとびこえることができる──けっこう長く、たぶん中学を卒業するあたりまでぼんやりとそう信じていた気がする。そしてナメクジ忍法がトンデモなんだと知ったあともがっかりした記憶はない。むしろ生きものが集中し空間を越えるホラ話はたしかな身体感覚としてすりこまれてしまったみたいで、もしかしたらそれがよく夢でテレポートする要因になっているのかもしれない。ほんとにそうかわからないけど。

話は移動するけど、移動の話が続きます。
7年ほど前に祖母の見舞いに行ったとき、悩みを打ち明けられたことがあった。「似たような夢ばかりみるんやわ」と祖母は言った。まるで、日々しつこく勧誘の電話がかかってくることにうんざりしている人のような口調だった。
祖母が悩まされていたのはこんな夢だった。

祖母が21歳まで育った田舎町に小高い山があった。その山の頂上からは町全体が見渡せ、ひとびとの憩いの場になっているのだが、夢の中で祖母は山中で迷い、いつまでも細い道をさまよい歩いている。またあるときは自転車に乗って帰路を探すも、いっこうにふもとまでたどり着けない。山道で人と出会う場合もあって、そのときは帰り道はどちらですかと尋ねるのだけど、違う道を教えられたり訊かれた方も迷っていたりして「役立たずしかおらへんねわ」。そういっておばあちゃんは苦笑いした。

ぼくにも経験があるけど、悪夢に悩むのは現実の生活に起伏が乏しくなったときに起こりやすいものだと思う。忙しくしていれば、夢は夢、現実は現実として別々の、しかるべき棚に収められ、太陽が頭上に登るころにはうつつの情報があたまの中心地を占領する。ところが入院などの事情でのっぺりとした代わり映えのない日常に入りこんだ場合、夢が日中も居座り、しだいにまるでそれが人生に立ち塞がる強固な関門みたいに思えてくることがある。祖母はもしかしたら、入院中ひとり取り残された気分を、夢の中で詩的に、過去の町での遭難として変容させていたんじゃないか。というような半端に理屈くさい分析を本人にいうのは無粋でしかないし、うんうん聞いてただけだったけど。当然ながら誰も他人の夢を変えることはできない。でもひょっとしたらそのとき、ナメクジの話でもしたら良かったかなと思う。ぼくはこうやって夢の中で閉じ込められたとき脱出するんやけどね──ナメクジだって川を渡れるんやし、人間も山降りるくらいできるんちゃうか、とかなんとか。役に立ったかどうかはともかくとして。

祖母は入退院をくり返しているうちに病院の生活に慣れていった様子で、いつの間にかあまり夢のことを言わなくなった。そのかわり、昔のことよく考えるんやわ、と嬉しそうにかつての暮らしの話をして、過去と仲良くできるようになったんだなと思った。かといってむかしに取り憑かれているわけでもなくて、現在のなかに憧れを探すときは、雑誌から切り抜いた松本潤の写真を眺めていた。
祖母は山の夢を見なくなったのか。あるいは、やはり同じ夢をくりかえし見てうっとおしい思いをしていたが、相談してもどうしようもないと諦めただけだったか。それともある日ついに下山できたんだろうか。真相はわからないけど、いずれにせよ生活する構えが変わったのは明らかにみえた。体は弱っていってるはずなのに、心のほうは穏やかに、健康になっていっていく姿はやさしくて、一緒に見舞いに行った親戚は帰り道、駅のホームで「おばあさんいい顔して、仏さんみたいになってきたな」と言ったけど、仏さん、に複数の意味があることを2人とも感じ取って、同意しながら思わず黙ってしまったのを思い出す。
あのときすでに祖母は、ゆっくり対岸へ身を移す準備にかかっていたのかもしれない。

自分には死後の世界があるかどうかわからない。というかないような気もするけど。まあ、あるにせよないにせよ、生きたままあちら側の人に会いたいと願ってしまうなら、我々は我々の内側にある葉の上で、じっくり体を溶かしてみるしかないんだと思う。

一度だけ、夏の暑い日に、祖母を夢で捕らえていた、あの山に行ってみた事がある。といっても、とくに超自然現象とかユング的なつながりなんかを期待したわけではなくて、たんに祖母の故郷をみてみたかったからだったけど。そこは大人が迷うには少しだけ小さすぎる、ハイキングにちょうどいい山で、変わった出来事といえば右の足首をなんだかわからない虫にチクッとやられて少し腫れたくらいのものだった。見晴らしのいい頂上には、カップルが座るのに良さそうなベンチが置いてあった。ぼくはそこに腰をかけ、蝉の声を聴き、ひょっとしたらここで祖母と祖父は並んで、遠くをみながらこれからのことを語り合ったりしたのかもしれないな、と知らない昔を想像してみた。とても古びて塗装のはげた、それはそれはぼろぼろのベンチだったから。