市役所の職員たちが駐車場に集まって車を修理しようとしている。ビートルに似た古風でこじんまりとしたその車はもともとオープンカーだったが、市民の要望で屋根をとりつけることになり、しかし担当者が車に不慣れだったために間違った方向に部品をはめ込んでしまったのだという。屋根と車体はしっかりとかみ合っていて、無理に外そうとすると全体がばらばらになるかもしれない。これはここだけの秘密、ということで、黙ってこの状態で走ればいいという意見も出たが、それで君は事故が起きたとき責任を取れるのか、という反論に提案者は口をつぐんだ。みなは車を中心に輪をつくり、こいつをどうしたものかと議論している。

 

ところで、その市役所は四方を山に囲まれたちいさな盆地にあり、上空にクリスタルパレスと呼ばれる町が浮かんでいる。クリスタルパレスは「透明の板」を土台にして広がり、空高くから地上を見下し、そこには独立した政治システムがあるのだそうだ。「透明の板」は水晶よりもずっと透き通って地表に影を落とさない。

職員のひとりが「そうだ。我々のあたまの上には修理工場があるじゃないですか」と言うと、皆は顔を見合わせ、あっという間に意見はまとまった。

エレベーターでクリスタルパレスへ行こう。それが1番話がはやいね。なんだ、こんな大勢で仕事を休んでまで頭を悩ませるような話じゃなかったじゃないか──。

 

裏から一部始終を聞いていた私は、役人たちの後についていくことにした。エレベーターは砲弾が弾き出されたような猛スピードで進むが、不思議に重力を感じない。

間もなく付いたクリスタルパレスは、今まで味わったことのないような均一で全方位的な明るさに満ちていて、目が慣れるまでに長い時間かかった。まず見えたのはうねうねと曲がりくねったサーキット。つづいて、輝く道路の上に片山右京の後ろ姿が現れた。

片山右京の肩をたたき、事情を説明すると、片山は快く修理をひきうけると答えてくれた。この人に任せられるならもう問題は解決したようなものだ。遠くピットに休憩している職員たちが見える。

それにしてもこの場所は陽射しが強い。にもかかわらず涼しくて過ごしやすい。こんなに眩しい光の中でみるものは、全てが、あまりにも記憶に定着しすぎる、と私は思う。この無表情で手加減をしらない光を浴び続けたなら、白い世界が心の中を占領して、いつか薄暗い秘密はすっかり過去に消えてしまうかもしれない。ここには純粋な美しさがあるし、おそらく生活の密度は地上よりずっと高いだろう。クリスタルパレスで暮らすたくましい人たちは、地上では得られないほど刺激的でただしい日々を送っているにちがいない。たしかにそれは素晴らしいことなのだろうけど、とはいえ平凡な人間があまり長くいるべき場所とは思えないし、羨ましさは湧いてこない。そのまるで憧れを感じないところに、私は意外な安心感を覚える。一方で、このさき長い間クリスタルパレスの記憶をなつかしく思い出しながら暮らすのだ、という予感もある。見上げると空は青一色で、陽を遮るものはどこにもない。透き通った足場の下にもやはり雲は見えない。

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