あるテレビ番組の出演者を決めるオーディション会場に入った。

部屋には5人ほどの審査員が長テーブルのうしろに腰かけ並んでいて、彼らの前で候補者は1人ずつスピーチをする。話が終わると審査員はみじかいアドバイスを与える。よくあるオーディションの光景だった。順番を待つ人たちのなかには知ってる顔が何人かあり、私は友達のとなりのパイプ椅子に座った。

 

番が回ってきた友達は一歩前に出て話を始めた。意外だったのは、彼のしゃべり方が上岡龍太郎によく似ていることだった。その話ぶりは、あまりにも普段の彼とは違い、演技めいて、声色も抑揚も上岡龍太郎そっくりなので、私には友人が意図的にモノマネしているようにしか思えなかった。

そこで話を終えて座ろうとする彼に「なんか上岡龍太郎みたいな話し方やったな」と小声で言うと、友達は無視するようにむこうをみて黙って去っていった。ああ、余計なことをいってしまったと思った。あいつはそれを隠しているつもりだったのだ。

 

自分の名前が呼ばれ、私も皆にならって前に出た。テレビに出るためのオーディションなのだからオチに向かうように構成するのがいいんだろう。と、飼い猫との出会について時間をかけて話そうとしたが、途中で審査員のひとりに遮られた。

「君、俳句……。俳句で」とメガネをかけた男が言った。

まるで、最初からそれが決まりだったでしょう、というような口ぶりで。

俳句?今までの話を五七五にしろというのか。他の人には課されていない縛りをつくるなんて理不尽なようだけど。しかしここでは彼らがルールだから仕方ない。そうおもって句を捻り出そうとするけれど、頭に浮かぶ文字列はどうしても不細工な字余りになってしまう。

そもそも複数のエピソードが重なった物語を話すことと俳句を詠むのでは求められる技術が異なる。だから私はさっきの話を五七五にまとめようとするのではなく、今あたらしくひとつの景色を浮かべ、それを表現する必要があるのだろう。そのように考えてイメージを膨らまそうとするが、思い浮かぶのはやはり字余りの句ばかりで、成果のないまま時間だけが過ぎていった。審査員たちの口元には苦笑いが広がっている。なんだかつらいことになってしまった。こんなかたちで俳句と向き合うなんて不幸なことだ。俳句とはもっと心を落ち着けて、楽しんでつくるもののはずなのに。