陶芸教室で知人たちが皿を作っている。私はここに1度来たことがあり、いい場所だからといってみんなを誘って今こうして集まっているらしい。「らしい」というのは、すっかり教室での記憶を失ってしまったからで、あまりその時のことを質問されたら困るなという気持ちがあった。

背の高い男(知り合いのはずだが顔に見覚えがない)から「お前もつくったら」と声をかけられた。まわりをみるとみんなすでに作業を終え、つぎつぎ作品が窯へ運ばれていっている状況だった。これらはぜんぶ一緒に焼くのだからのんびりしている暇はなさそうだ。短時間でしっかり作るは難しいだろう。かといって、せっかく来たのに何もしないで帰るのもどうかと思う。私は土をこね、丸煎餅のような形に伸ばし「これはね、餃子の皮」といって、それを窯に入れた。すると「餃子ならくるまんとあかんがな」と、我々の先生である陶芸家の声がした。

かるく場を凌ごうとしたことを見抜かれたようで、後ろめたさを感じた私は、彼のいう通りに「餃子の皮」を取り出し、折りたたみ整形することに決め、それならもっと、きちんと餃子らしく、なにかタネを包み入れるべきなんじゃないかと思った。床に目を落とすと皮の剥かれていないニンニクがひとかけ転がっていたから、「これを中に入れていいですか」と尋ねると、陶芸家先生は頷いたあと、鉢植えから長く伸びる、なんと呼んでいいかわからない柔らかそうな植物の葉を片手でひとつ摘んで「これも具にしてみよか」といって私に渡した。ニンニクと青菜があれば、まあ餃子としてはまともなものだ。先生は再び葉をつまみ、小さくねじりとり、こちらに置く。それを何度もくり返す。まるで2人で農作業でもしているかのように。生地の上は、もはや包めるかどうかも判らないくらいこんもりと葉の緑が積っている。