「滝原くん」の霊にとり憑かれてしまい、どこへ行っても人々が自分のことを滝原くんと呼ぶようになった。呼ばれた数が増えるにしたがって私の姿は滝原くんに近づいていくらしい。鏡をみるとそこには、学生服を着た、おかっぱあたまの小柄な青年が映ってみえた。私の面影はもうわずかに残されている、と言わなければならないほどに薄まっている。

滝原くんは生前レジスタンス集団に所属していたらしく、駅のホームからはかつての仲間の亡霊が6人ほどみえた。霊といっても彼らはくっきりした外見で、足はちゃんと2本あり、歩けば靴音さえ響かせる。私は仲間たちに懐かしさと親しみを覚えたが、ひとりひとりの個性や生い立ち、それから、我々がどのような活動をしていたかまではわからない。その点で心は滝原くんになり切っていないのだろうと思う。

轟音と共に黒い列車が到着し、続々と降車する「敵」から逃れるために、私は仲間と一緒に駅の地下へ潜り込んで身を隠した。暗がりでひとりの女性がこちらを見て「滝原くん。滝原くん。滝原くん」とリズミカルに、くりかえし呼びかけ続ける。まるで飼い始めたばかりの犬に名前を覚えさせようとするように、愛情に満ちたささやき声で。いや、実はね、俺は滝原くんではないんですよ、と抗う気はおきない。いつか私は本当に、すっかり滝原くんに変身してしまうだろう。

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