坂になった大通りを歩いて下る。私はこの町の暮らしに愛着を持っている。なんの文句もない幸福感。それは今向かっている先から吹いてくる風のおかげでもある。やむことのない強風は地上を直線的に通り抜けるだけだけれど、上空では方向を変え続けていて、その踊りを眺める(夢では風をみることができる)だけで空気の新しさと心身の自由を感じることができる。おそらく多くの住民もそうなのだろう、おかげでこの町は雰囲気がいい。

 

大通りはガードレールに遮られて終わる。その先にはえぐれた崖。シーンが夜に変わり、何もなかった眼前に、竜を模した建築中の建物が現れる。それは崖の底から生えているかのようにみえるが、体は途中で闇に隠れてしまい、ほんとうのところはわからない。竜の角や目には電飾がとりつけられ、そこにはカジノを思わせる、煌びやかで怪しい景気がある。半開きになった龍の口から伸びた長い舌が、ガードレールをこえて私の足元に達している。この舌を渡って建物内に入れるようだが、竜を見れば見るほど崖の底深さを感じ、そのせいで高所にいるときにおこる足元がぐらつくような目眩に襲われてしまう。竜のせいで町全体が不安定になってしまっているようだ、というわずかな苛立ちがあるとともに、いや、もともと夜の此処は人に恐怖を抱かせる力があるのだが私が不安感を派手な龍のせいにしてしまっているだけなのだ、とも言え、どちらか判断がつかない。

 

私は龍の口へ入った。いや入っていたというべきで、舌の上に乗った記憶が消えている。

龍の中はカジノでもクラブでもない、みえるものは、くすんだ壁、枯れた花、時代を感じさせる食券機と、建設中の建物とは思えないさびれかたをしている。食券機の右下には「ワイン7円 おかわり自由」と貼り紙があり、その下のボタンをおせば赤ワインがでるらしい。7円は安い。入った店はラーメン屋で、天井に近い壁にはラーメンをたべるタレントの絵が額に入れて飾られているのだが、キャンパスだと思っていたそれはタブレットで、液晶のタレントは動き出し、店のラーメンに古き良き滋味が感じられると語りはじめる。腹が減った私は、評価を聞くよりラーメンを口に入れたい。タオルを頭に巻いた店主が足をくんで椅子に座り、新聞を広げてうつむく、いかにもな光景に嬉しくなりながら、ラーメン一杯くださいと伝える。店主は調理をはじめ、そこでシーンがとぶ。

 

 

私は3人の老婆の介護をしている。3人は寝たきりで、ときどき口から唾や血や食べ物を勢いよく吐き出して壁につけるので、私は雑巾とバケツを手元においてその度に清掃する。みんな先が長くはない事が、3人の衰え方からわかるが、それによってうまれた最期までしっかり世話をしたい、というひきしまった気持ちが、作業にまとわりつく嫌気を麻痺させてくれる。3人がもし永遠に生きるのだとしたら私はいつか潰れてしまうだろう。その意味で死は出口であり救いになっている。まもなく来るだろう死を想像することで、死を回避するために手を尽くせるというのは皮肉な前向きさだなと思う。家には私のほかに若い女性がいて、3人のために料理をしたり、洗濯したりと働いてくれているのだけど、私は彼女と面識がないし、なぜ手伝ってくれているのかわからない。彼女は難しいところのあるおばあさんとも笑顔で接して、うまく場の空気を整え、その姿は自発的につかれる作業を楽しんでいるようにしかみえない。彼女がいないとき「どうしてここで働いてくれてるのかな」と私はおばあさんに尋ねる。「12食食べられるから」と1人が答える。

 

やる事が一段落し、女性は私の入ってるこたつで休む。彼女はとても健康そうで、広いおでこに皺ひとつない。私は鞄からノートをとりだして開く。どのページも中心に縦線がはいっていて、左半分に脈絡のない単語が20ほど印刷されている。私は紙を2枚やぶいて、1枚を彼女に渡す。右側に思いつくままに言葉を書くと、左と右がつながって、これからの目標が象徴的にあらわれる。このノートはそうした占いを目的につかうものなのだ、と我々は知っている。2人とも浮かんだ言葉を書きおえたが、結果を見せ合うことはしない。

「君はここを出て行くほうがいいと思う」と彼女に言おうと口をあけたとき、彼女は「明日出て行くのは寂しいです」といった。引越し先はもう決まっているらしい。

 

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