飛行機内を模したセットでコント番組を撮っている。飛行中に窓が割れてしまった設定のコントらしく、私は気圧差で外へ吸い込まれるのに抵抗するひとを演じなければならない。台本を書いた芸人がカメラの横にしゃがんでいて、扇風機をこちらにあてながら手ぶりで指示を出す。こんな家庭用の扇風機で人を飛ばすほどの風圧をあらわせるのだろうか、と疑ったが、完成した映像をみると問題なく暴風が起こってるようにみえて、なるほどアップをうまく使えばここまでリアルに撮れるものかと感心させられた。

撮影が終わり、楽屋では芸人とスタッフが昔話をしている。飛行機コントは10年前にも撮っていて、さっきやったのはそれに一工夫加えたバージョンなんだと芸人が言う。「昔から飛行機にはこだわり持ってますよね」とスタッフが話をつなげる。

彼らはたくさんの現場を共にしてきた仲間のようで調子よく会話を弾ませていたけれど、突然スタッフが芸人に突っかかるように「今の言い方はなんですか」と大声を出した。芸人は肩をすくめて楽屋から出ていった。憤懣やるかたないスタッフは私を睨んで、いまのやり取りをどう受け止めたのか、自分の側に付くのかどうか尋問しようとするが、私にはなんの言葉がかれの癪に障ったのかがわからない。みかねたカメラマンが「あの人はまあいつもああいう風だから……。わかってるでしょう」となだめに入った。

ぴりついた空気のなか、ドアの隙間から1匹の蚊がまぎれこんできた。おそらくこれは、さっきの芸人なんだろう、と私は思った。ここに戻るのが気まずいので芸人はこうやって、虫に化けて我々のようすを窺っているのだ。

蚊は私の左腕にとまり、これから血を吸うつもりのようだ。反射的に私は右手でそいつを叩いた。平たくなった蚊は白く光を反射して、よく磨かれた爪を思わせる。わずかな足の動きがいっそうゆっくりなり、虫はいま命を終えようとしている。それを見つめているとき、楽屋の外から芸人の声が聞こえた。

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