市議会の傍聴席で質疑応答を聞いている。議論のテーマは、テンテンヤンと呼ばれる生物が森を荒らしている状況をいかに改善するかについて。野党議員は、広範囲に罠を仕掛けるため自衛隊の支援を求めるべきだと主張する。それを受けた市長は野生生物保護の観点から捕獲に乗り気ではない様子で、現状維持の立場を崩さない。

討論が平行線を辿るなか私は奇妙なことに気がついた。というのは、どうも誰ひとりテンテンヤンの姿を見た者がいないようなのだ。目撃談が示されないままに被害の実態は情緒的な表現に任され、どこがどう荒らされたのかという肝心の中身が欠けている。いるかいないかわからない妖怪のような生物を捕まえるために予算を割くことはできない、という市長の見解はもっともなように思えたが、野党の議員は「つまり一番の問題はテンテンヤンの所在がつかめない点にあり、だからこそ捕獲して確認しないといけないのです」と、アクロバティックな論理を展開し対抗しようとした。

彼はその根拠として「ヤーヘンのリンパ説」をあげる。リンパ説とは、リンパの流れから精神の実在を証明しようとする、19世紀前半一時的に流行した学説なのだが、それはいまの視点からみるなら疑似科学と呼ぶほかない遺物であるし、100歩譲って仮にリンパ説がどこかで一定の支持を得ていることを認めるとしても、それがテンテンヤン問題解決への道といかに関わるのか、誰にもわからない。煙にまかれる快楽に弱いひとしか耳を傾けないタイプの演説が無意味に引き延ばされていった。

破綻した質疑をうけ、市長は沈黙し、全く動きを止めてしまった。遠くをみる顔から、彼は自分がリンパ説を知らないことを隠したいのだと私にはわかる。そんなものは全く知らないでいいんだから、知らないと言えばいいだけなのに、少しでも弱みを見せれば綻びが広がってしまうのではないかと身構える市長にはそれができない。

市長は背筋を伸ばしたかたちで硬直し、体のバランスをとることをやめた。必然的にそのままゆっくりと後ろ向きに倒れることになったが、その姿はマジックインキそっくりだった。そっくり、というより、比喩を超えて、ほとんどそのものに変身したといった方が良いかもしれない。慣性のまま横向きに転がる自然な運動は、意志なき無機物にしかみえない。市長にこんな裏芸があったとは──。場に驚きがひろがり、人びとはたいへんな奇術をみたぞと携帯で知り合いに自慢をはじめる。話題をかぎつけた市民達がかけつけ、間もなく議場は群衆でいっぱいになった。テンテンヤンとヤーヘンの話はもはや傍に追いやられたようで、つまり芸の目論見は達成されたわけだ。黒いスーツの市長は、今度は落ち着いた様子で立ち上がった。それから、はにかんだ笑みをつくり、再びマジックインキに擬態して壇上から転げてみせた。