薄暗い和室の中、2枚ならべた座布団の上で横になってぼんやりしているうち、部屋の隅に男の子が座っているのに気がついた。彼は背中を丸めて私の足の爪を切っているようだった。私と男の子の距離は4メートル以上あるので、彼のいるところまで私の体が届くはずはない。けれども自分のつま先をみてみれば、確かに彼の左手は私の足の甲をつかんで、右手でパチンパチンと小気味よく爪を切っている。それをする男の子の顔を確認しようとすると、しかしまた彼の姿は遠ざかり、暗がりにくすんでよく見えなくなってしまう。

私は起き上がって彼のそばまで近づき「もう終わっていいよ。気持ちはありがたいけど自分の爪は自分で切るもんだからね」と、つとめてやさしく伝える。男の子はケチだなぁとでも言いたげな表情をこちらに向けたが、その顔は10歳ごろの私にそっくりだった。彼はすこし迷っていたが諦めがついたようで、困ったような笑顔をうかべて足を離した。私は遠近感が狂った奇妙な感覚から解放されて、失くした眼鏡がもどってきたときに似た安堵を覚えたが、同時に男の子にたいして申し訳ない気分にもなった。

 

部屋を出るとそこは雑居ビルだった。ビル内では演劇イベントが開催されているらしく、さまざまな劇団が各々の借りた部屋で劇をはじめている。客はどの部屋にも自由に出入りしていて文化祭のような雰囲気があるが、コロナ禍によりすれ違う人はマスクをして、そしてなぜか全員フードをかぶっている。湿っぽい廊下を歩き、階段を登った先にひときわ賑わう一室がある。そこは学校の教室そっくりの造りで、窓からある程度なかの動きを確認できる。私はその部屋へ入り、椅子に腰掛けた。部屋のなかはまるで壁に張りつく特殊な黒煙でもまかれたかのように隅の方だけが深い暗がりになって、それは場がどこまでも広くなったかのような錯覚を起こさせる。反面、闇による圧迫感も強く、私は再び自分の遠近感の頼りなさを自覚する。黒煙が撒かれた「ようだ」と思ったが、もしかしたらそれは比喩ではなくじっさいに、なにか私の知らない物質が散布されているのかもしれない。おかしな話だがその闇にはどうも、粘性や重量があるように思われるのだ──。演目は鈴江敏朗の脚本。日本とアメリカとが戦争状態になってしまう物語で、むかしに観た記憶があるけれど題が思い出せない。見回したところ舞台と客席は線引きされておらず、観客はどこに居ることも許されるルールで、役者のすぐそばの床に体育座りした女性がいたりする。このような状況で役者も客もみんなフードをかぶっているものだから、どちらが演者で客なのか、しっかり筋を追っていないと混乱してしまいそうになる。天井にはカーブしたカーテンレールが縦横無尽に這っていて、それは一瞬病院の大部屋を連想させるが、しかしこんなにデタラメな間仕切りの病室は世の中のどこにも存在しないはずである。これはたぶん劇のクライマックス近くでなにかの演出に使われる装置なんだろうなと私は思う。

少しずつ、確実に客の数が増えていき、演者は人のあいだを縫うように歩き、台詞を響かせる。このまま人で溢れてしまったらどうなるんだろう。と出入り口のほうを確認したとき、人々がみな茶色いメモ帳のようなものを持っていることに気がついた。しまった──あれはチケットだ。間違いなくチケット。このイベントは通し券を買った者が部屋を選べるシステムなのだ。私はといえば手ぶらであり、鞄も財布も持っていない。マスクもしていなければ、フード付きの服も着ていない。おまけに靴を履いていない。劇が終わり明るくなればすぐさま怪しまれスタッフが寄ってくるのは目に見えている。タダ観がバレたら面倒だから退散しなくてはならないが、人は増えたしあたりは黒い煙に覆われて、とても出られそうにない。いやそうか、いっそ全てが終わるまで、あの黒色のなかに身を隠せばいいじゃないか。とそこで思いつく。もうそれしかない、誰にもみつからないようにあの闇へ入りこんでしまおう。そう意を決して、私は椅子から立ち上がる。

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