近所にマクドナルドの新店舗ができんだってよ、と電話で知り合いから教えられた。それは世界で初めて湖の底に建てられたマクドナルドであり、開店特別メニューとしてしばらくのあいだチキンナゲットの黒酢あんかけを売り出すのだという。

ぜひ味わってみたいものだと思い、私は丘を登ってうわさの湖にたどり着いた。

湖は運動場のトラックくらいの広さで、池と呼ぶほうがしっくりきそうなものだったけれど、近づいてみれば澄んだ水なのに底の見えないほど深さがあって、なるほど、これはたしかに湖であり、店を建設するのにちょうどいい地形なのだろうと思った。

水につま先が触れようとしたときに、自分の姿が湖面に映ってみえた。私は白地に原色のドットが方々プリントされた、妙にポップなジャケットを着ている。胸のあたりには猫か熊かよくわからないキャラクターのアップリケがいくつも付いて、それが角度の加減で間抜けに煌めくのだった。

横をみるといつの間にか、知らないおじさんが近くにいた。彼はこちらを眺め、珍しい服に何か茶々を入れたがっているようだった。その視線から逃れたいと思うが、しかしここで恥ずかしがってジャケットを脱いでしまうことこそ恥ずかしい行いなのではないか、等と考えが巡った結果、私は平静を装い、服を着たまま湖へ、ゆっくり入っていった。

水の中は生暖かく、まるで布団の中にいるみたいに居心地がよかった。息苦しくもない。体はどんどん沈んで、眼下には、ついにちいさくマクドナルドの姿が現れた。店内はあかるく輝き、こちらへ来いと光の道をさし示しているようだ。さらに潜る。中には黒い人影がみえる。よかった。営業しているのだ。

湖底に足が触れ、自動ドアの前まで歩いたが、ガラスに鼻先まで近いてもドアは開かなかった。浮力によってうまく反応してないだけかもしれない、と考えて水をかき下へ下へ推進力を加えるが、それでも扉は動かない。もしかしたらカードキーのようなものや、あるいは予約が必要だったのか、それともアラビアンナイトのように呪文を唱えなくてはならないのか──とにかくこれは機械の故障ではなく、何かしら私の知らない事情が障害となっているように思われた。店内の客はパーティーでもやってるみたいにかたまって立ち話をして、誰ひとり帰ろうとしない。ドアのガラスには例のジャケットが映って、胸に貼りついた動物のアップリケがこちらに向かって微笑んでいた。

 

街から遠くはなれて、私は小さな土蔵を借りて生活している。レコードを10枚ほど軒先の棚に置いていたはずだけれど、外にでて見ると、それらは全て盗まれてしまっていた。まわりには木が生い茂って門はない。だから誰でもどこからでも忍び込める構造ではある。とはいえ、こんな辺鄙な場所にわざわざやって来る人はじぶんを知っている者なのではないか──と推測はできるが確かめる術はない。

それから、棚の上には通帳やカードといった貴重品を置いていたんだったと思い出した。となると犯人を探さないといけないわけだけど。しかし今から走って追いつけるとも思えないから、警察に任せるしかないのかもしれない。心の中では、ものを盗られた悔しさというよりは、これから始まる長い手続きを想像して億劫な気持ちがふくらんでいった。そもそもあの棚は掃除もせず埃が積もっていたし、私に管理する気がなかったからこういう事件を招いたともいえる。

蔵の壁には、荒らしを免れた一丁のライフルが立てかけられていた。そこに装填されているのは薬莢と弾丸ではなく、飲み薬のカプセルのようなもので、その中にはひとつひとつ、さまざまな植物の種が詰められているらしい。私は銃口を地面に向け、ズドンと一発撃ち込んでみた。

カプセルはすんなりと、熟練したとび込み水泳選手のように直線的に地中へめりこみ、やがて水面の波紋が消えるのと同じ自然さで、跡はすっかり元通り塞がってしまった。

玄関先にはセンリョウが赤い実をたくさんつけているから、私はこのまわりを賑やかにしてやろうと、そこを狙ってスコープを覗き、引き金をひいてカプセルをいくつか埋め込んだ。春になればきっとここらにきれいな花が咲くだろう。

 

部屋に暖房をいれて待ってみても外で浴びた冷気が体に居座るので布団に潜りこんだが、毛布のぬくもりは芯まで届かない。とりわけ右足の指先からふくらはぎにかけて氷のように冷たい。あまりにも右足がしびれるから、悪寒の根本原因はここなのではないかと思い至り、いっそ取り外してみることにした。

カニの関節を外すようにひねると、足は音をたてず、痛みもなく膝を境にわかれて、私はそれを大きな大根でも持つように抱え、そのまま玄関をでて整骨院へ向かった。外科ではこのように妙な患者は受け入れてもらえないかもしれないが、整骨院ならあるていど融通がきくのではないかと思ったからだった。これをどうにか蘇生しないといけない。

そのとき片足の欠けた自分がどのように歩いていたのかはわからない。自分の体もみえない真っ暗闇のなかで、右足を持ち運びながら、おかしなことに私は、たしかに両足で歩いていたようだ。

目的の整骨院の外観は、小学生のころ通った歯医者によく似て、洒落た出窓のある、緑色の屋根の一軒家だった。インターホンを押すとしばらくしてドアが半分あいて、すきまからパジャマ姿の女性がこちらを一瞥し、ため息をついた。それから訪問販売員にいうように「間に合ってます」とだけ呟いてドアを閉めようとしたが、私は抱いていた右足を差し出して「売りたいんじゃなくて温めてほしいんです」と、切ない顔をつくって同情を買おうとした。

整骨院には電気治療の機械が置いてあるはずです。それをうまく使えば血流が戻るかもしれない。もちろん今すぐにとは言いません。足を預けるので手の空いたときにでも処置していただければ──と、懇願をつづける。

橙色の明かりが玄関から漏れて私を照らしていた。そのせいか、足は家を出る前より生気があるように見えた。サイズも少し膨らんで、もう冷たくない。すっかり良くなっている可能性もありそうだと思った。

とある企業がスズメ忍者という名のキャラクターを売り出すつもりらしく、私はその衣装制作に携わることになった。

まずは雀の特徴である尖ったくちばしを立体マスクで表してみようと布を選ぶが、その色を本物のとおり黒でいくか、それとも黄土色にするか悩ましい。だれかモデルがいればいいのに、と思っていると、私の側にダイアンのユースケが立っていたので、頼んで手伝ってもらうことにした。頭巾と合わせてみると黄土色のほうがやわらかく見えて良いように思え、そこから方向性が定まってきた。かわいくいこう。鳥の羽は、ちょうど忍者だから、広げればむささびの術の格好になるようにマントを縫い込んでしまえばいい。

あっという間にすべての染めと縫製が完了した。コスチュームを身につけたユースケをみて、これはとんでもない人気者が誕生することになるぞと、私の心は達成感でいっぱいになった。いつも遠くを見るような厚ぼったい目とシャープなマスクとのバランスは愛嬌があるし、なによりぽっちゃりした丸い腹が雀のイメージにぴったりだ。このようにたっぷり質量のある人が空を飛んだなら忍術の不思議も際立つだろう。重さこそ、浮遊感の説得力になる。

私はユースケに握手を求めたい気持ちになっていた。これは2人で作り上げたデザインなのだ。スズメ忍者を演じる役者は、誰がなんと言おうと、もう彼をおいて他にはあり得ない。

 

 

知り合ったばかりの女性と知らない田舎町を巡っている。左右をセイタカアワダチソウが占領した畦道を通りながら、廃屋の屋根にかぶさるほど大きな銀杏の木が金色の葉を散らしているのがみえた。いくつかの商店を横切ったが、いずれも中は暗く静かで営業しているかどうかわからない。公園では足のながい蜘蛛が錆びたすべり台に巣を作ろうと狙っているくらいで、人の気配はない。どこまで行っても同じような家、塀、交差点、看板がつづくばかりだった。遠くのバイパスからバイクの走る音が海なりのように長く響いてくる。

横を歩く女性が急に目を細めて不満を漏らした。せっかく長い時間かけてやって来たというのに、ここはがらんとしてまるで見るものがない。おまけにあまりにも自分の故郷に似過ぎている──と。

「しがらみから離れようと思って来てみたら、無理やり昔の記憶を見せられてるみたいでぜんぜん楽しめないんだけど」

「まあ、そうは言っても、ここは日本によくある町だし、日本は日本によくある町だらけの国だから」と私は愚痴をいなそうとした。「それに細かくみれば違いだって見つかると思う」

そう言いながらも彼女の気持ちがわかる気がした。変化への期待が持てないうんざりした気分に支配されたら、ときに人は近くの誰かに当たりたくなるものなのだ。

それからまたしばらく歩き、気がつくと、目の前に小さな神社があった。石の鳥居の向こうに境内がみえるが、右を向いても左を向いても、真うしろにも、我々を囲うように鳥居がたっている。これはけっこう珍しいことなんじゃないだろうかと思った。そういえば、この町にはやたらと鳥居が、何でもない場所に点在していた気がする。しかも右の鳥居は、はしの部分がすべて丸みをおびて鉄アレイみたいなデザインだ。

ほらここに、こんなへんな、可愛らしい鳥居があるよ。やっぱり探せばどこの土地にだって特色は見つかるものでしょう。そう私は呼びかけた。すると

「あった……。この丸くてへんで可愛らしい鳥居は、私が育った家の、すぐそばにあった。部屋の窓から見えてさえいたから」とその人は言った。



 

友達と旅行していたはずが間違った駅で降りて1人になってしまった。次の列車がくるのは3時間後らしいから、ちかくのデパートで時間をつぶそうと思った。

建物に入ってすぐ、食レポ番組の撮影と出くわした。邪魔にならないように避けたけれど、移動した先でまた別の芸能人が店員と大きな声でやりとりをしている。見渡せば客のほとんどが食レポをするタレントであり、それぞれに撮影クルーがついて並ぶ。このデパートにはいま飲食店しか入っていない。なにか大がかりなフードフェスが催されているらしい。

近くにいるメガネをかけたお笑い芸人が、笹にくるまった黄色い団子を手にとり、カメラに向かって大げさに喜んでみせたが、しかし彼はどうやらすでに何件もの店をまわり胃袋がいっぱいになっている様子だった。ゲップをこらえる仕草を隠すように、不自然に体をねじっては涙を浮かべた目を団子にむけて、なんとか食欲を奮い立たせようと念じ、ひと口で頬張るタイミングを待っている。私はさっき腹が減っていたけれど、タレントたちの嘔吐感が移ったせいで食事する気が失せてしまった。彼らは仕事が終わるまでものを食べ続けなければならない。そしてきわめて気の毒なことに、終わりを決める権利を持たないのだ。どれも手のこんだ素晴らしい料理が並んでいるというのに、ここでは誰もが楽しそうに苦しんでいる。

 

窮屈な気持ちになり、私はそのデパートを後にした。駅地下をうろつき、だだっ広いホームセンターの廃墟ような待合所にある、破れたソファに腰掛けると、スプリングがダメになっているらしく尻が椅子にめり込んで、寿司桶にでもはまっているような体勢になってしまった。座り心地がいいとは言えないけれど、窪みにすっぽりはまり込むのはそれだけで何か安心なものだった。ボロボロの椅子、湿った床に、煤けた壁。きどらない服装の人たちの集う空気に懐かしさを覚えた。少なくともここでは、さっきのデパートのように無理をして明るく振る舞う人はいない。

 

目の前に古びた大型テレビがあり、アニメ映画が流れていた。

少年が海に潜りなにか宝を探しているが、そこで巨大なウツボのような怪物に追いかけられ、彼は沈んだ廃墟を利用してうまく身を隠す。未来少年コナンの冒頭を思わせるストーリーだ。

陸にあがった少年は、海底で拾った石をヒロインに手渡した。少女の顔は、輪郭がくっきりしたセルアニメで、なかのパーツはデジタル処理の淡いドット絵で表現されていた。ドットは水面に光を散らしたように絶えず色彩がかわり、それは表情のやわらかさや、記憶の曖昧さを示している。またこれは、少年が少女の顔をはっきり見られていない、照れた感情を映像にしているようにも受け取れる。うまい描き方があるものだと思い、もう1度きちんと確認したかったが、ドットの少女が現れたのはそのシーンだけだった。

 

映画が終わり、椅子から立ち上がると、つま先にコツンと触れるものがあり、拾い上げてみればそれは、赤い塗装が半分ほど剥げた、小型のラジオだった。ラジオには短いアンテナ、ツマミが2つと、ボタンが10個ほど、それらの中心に白黒のモニターが付いている。ボタンをひとつ押してみると画面には電話番号のリストと「通話」の字があらわれたが、選択しても反応しなかった。

そうか、これは携帯電話だったのか。スマホ前夜に現れた、ラジオと電話を合体させた珍商品──と思われる機械を弄んでいるうちに、それには録音の機能や、10曲ほど曲を入れられるメモリがある事がわかった。1曲を選んでみると、おそらく小室哲哉の作曲とおもわれるユーロビートが流れた。甲高い女性ボーカルが、これからの私たちは他人の思惑に左右されない、前向きな生き方をしなければならないと聴く者に訴える。シャカシャカしてこもった音質は、その理想が過去のなかに塩漬けにされてしまったような印象を与え、私はこの曲が好きだったであろう持ち主の現在を想像せずにはいられなかった。登録された沢山の電話番号はもう失われているのだろうけれど、数字の並びは確かに、当時だれかによって構築された人間関係の、もはや辿りようのない足跡なのだと思った。本人に届ける事ができればいいけれども、しかしそんな奇跡を期待するにはたぶん少し時間が経ちすぎている。

 

 

席がひとつだけのこじんまりとした散髪屋で髭を剃ってもらっている。手際よく剃刀をあてる店主の姿を薄目で眺め(しっかり目を開こうとはするけれどうまくいかなかった)、印象付けられるのは彼の額の広さだった。色白でつるんとした曲線をつくる額は大きな鳥の卵のようで、その表面を白髪混じりの前髪が頬骨あたりまで垂れてよく揺れる。店の空気をかき混ぜているのは壁に取り付けられた扇風機で、それがときおりガタンガタンと苦しそうに不規則な音をたてる。扇風機は羽がむき出しになっているし、いまにも留め具が壊れ、放り出されたプロペラがこちらにぶつかってきてもおかしくないようだが、店主は気にする様子をみせず、お経を読む坊主のように澄んだ顔で作業をつづける。とても丁寧に右のあごを剃り、鼻の下の髭をおとし、左半分に移り、それからまた右に移る。次に鼻の下、左……。なんども同じところに戻ってくる。あまりにも長々しい繰り返し。いや、これでは本当にお経ではないか、じぶんの顔を儀式の舞台にされてはかなわないと思うが、しかしこちらから話しかけたら彼の集中を削いで、返事と一緒に要らない傷までもらうかもしれないので、とにかく別なことを考えて、店主が満足するのを研ぎ石にでもなった気持ちで待つしかないと観念した。

扇風機の音はさらに激しくなり、はっきりと椅子につたわる振動をもちはじめ、目を閉じればもはや旅客機のエンジン音としか思えないほどの轟音にまで達した。ブーガタガタガタ、ガタ、ゴー!と今まででいちばん大きな音が響く──と、役目を終えたというように緑色の羽は動きをとめて、一転あたりは静かになった。

「おわりましたよ」という店主の声が聞こえた。「それと、サービスで裾をカットさせてもらいましたので」

裾とは髪を指すものではないらしく、私のはいているズボンの右足の裾に三角の切れ目ができていた。それは顔を近づけて観察してようやくわかる程度のわずかな欠けではある。被害というには大げさかもしれない。しかし、こんな勝手を許すような、自分の知らない文化がほんとうにあるんだろうか。一瞬そう不思議に思っただけで怒りは湧いてこなかった。

 

散髪屋を出て、肉屋の前を通っているときに、暗い毛色をした猫が細い路地からあらわれ、身をかがめながら私のそばにやってきた。その猫は先ほどカットされたズボンの裾をじっと睨み、それから無防備にごろんと転がった。仰向けになったまま首をのばし、また同じところに鼻をつけてうっとりと目を細めている。

これはまたたびを嗅いだときの反応とそっくりだと思った。そうか、この裾は、またたびの香りがたつように工夫して切られたものにちがいない。何であれ物質はどこかの空間を埋めるものである。埋めることが物のあらわれであり本質なのだとしたら、反対に、きっちりそれとあわせた空間をどこかに掘削してみせれば、物と同じ効果が、裂け目から出てきて実体化するのだろう。またたびの空白をつくれば、そこを糊付けしようと、またたびの亡霊がこちらへやってくる。今まで持てなかった発想だが、それは考えるほど自明な原理のように思われた。

この召喚術を応用すれば、自分にもいくらか面白いものが作れるかもしれない──。あたらしい意欲が足取りを軽くして、ついてくる猫と一緒に私は橋を駈けて渡った。