観光でインドネシアの農村に来ている。すらっと背が高く筋肉質な男が現地のガイドで、我々は友達のように屈託なく話のできる関係をすでに築いてるようだった。森に囲まれた村の生活は常に自然と共にあり、道は舗装されておらずところどころぬかるんでいるが、村全体に漂い体にはりつく粘っこい湿気が私には懐かしく、好ましく感じられる。

ガイドは「そこの穴に入ってね」と言い残し、少し遠くへいって何かを拾って帰ってきた。私は指示通り、体が半分隠れるほどの竪穴に身を隠してそれをみていた。持ち帰ったのはヒルによく似た白いゼリー状の物体だった。これがかつて戦地だったぼくたちの村に残された地雷なんだよ、とガイドが説明する。

「まだまだ、いくらでもある」

村の若者は成人を迎えるころ、ゼリー地雷を素手ではがす方法を大人から学ぶらしい。この危険物処理には特殊な技術と動じない心が必要であり、その両面を乗りこえることが一種のイニシエーションとして機能している。ほとんどの者は(困難があったとしても、最終的には)地雷はがしを習得するが、20人に1人くらい、どうしてもそれができない者もいるそうだ。

ガイドはまた別な場所に仕掛けられた地雷を、ちょっとどうかと思うくらい気安い手つきではがし、それをライフルの銃身にねじ込んで引き金をひくと、パン!と乾いた爆音が響いて銃弾がひとつ森の中へとんでいった。

「もっと別な使い道もあるけど」と彼はまっすぐ私をみて言う。地雷の別な使い道とは、たとえばお湯を沸かすとかそういう平和利用を指すんだろうか。

私はまだ竪穴の中にいるのだけど、いつの間にか穴が深くなって自力で出られるか危うい状況に変わっている。このまま光も届かない奈落深くへ沈むんじゃないか、と恐怖を覚えるが、ガイドは笑顔でこちらを見下ろし、手を差し伸べて一瞬で私を引き上げてくれた。

 

f:id:yajirusi9:20210320140320j:plain