子供3人と50歳くらいの男が港町を散歩している。男は芸術家らしく、オーバーサイズのスーツを軽く着こなし、歯並びのいい口を大きくあけて笑い、きっちり剃られたスキンヘッドは威圧感より愛嬌を感じさせる。かれらは親子ではないが、子供たちは男を慕って楽しそうにあとをついていく。私も子供の視点で、男に案内されて海沿いを歩いた。

 

突然男は足をとめて向きなおり、また口をひろげて歯を見せると、急にスーツの色が黒からオレンジにかわり、彼の顔はイチゴのような色になった。男はどうやら背景にあわせてカメレオンのように色を変えることができるらしい。それもまわりと同化するのではなく、補色を混ぜてバランスよく、全体を一枚の絵のようにみせる。おそらくそこに芸術家としての能力が発揮されているのだろう。いつのまにかその力は男の体をこえて、人々の靴や街灯まで、何でもかんでもくるくると色彩をかえられてしまう。それをみてはじめ私はすこし怖い気がしていたけど、このように色彩が自由な世界にはあたらしい居心地の良さがあり、その感情はしだいに男への信頼感に繋がっていった。

 

男はいつのまにか歩道橋の上にいて、こちらを見下ろし、ケースからバリトンサックスを取り出して演奏をはじめた。

「彼の演奏にはいつも独自の思念が込められている」と、どこかから狂言回しの声が聞こえる。「その音は両犠牲を秘め、両目で、立体として、われわれの社会を鷹のようにしっかりとらえる。ある意味では理詰めの具体性があり、同時に定義から離れようとする詩情に支えられてもいる」という風に、哲学を音にのせる力に長けているのだと声は強調する。そう言われれば、曲を聴いているとなんとなく自分の問題をうまく説明されているような気持ちになってくる。

男は歩道橋の下の道路を深い谷にみたて、低い音が底まで落ちて地をはう姿を想像しているようだ。谷間に音楽が響くことが男にとっては重要で、それがこの曲のテーマでもあるのだろう。演奏姿をよくみると、奇妙にもサックスの一部がカエルの腹のように膨らんだり縮んだりしている。この伸縮する部分にはある音源がうめられ、空気の出し入れによってそれがメロディと重なり、ひとりでも多層的な演奏ができる、ということのようだ。私は子供たちと歩道橋の階段に座ってそれを聴いている。

 

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