愛媛県の道路網は不必要にこまかく作られていて、ながく走るほどドライバーはうんざりして思考を鈍化させられる。県民はそれを「愛媛にぶり」と呼ぶのです。とアナウンサーがいった。看板はニュース番組なのだが、そこに公共事業の暴走を追及するかたい調子はなく、どちらかといえば特殊な地方性を茶化す(ケンミンショーのような)バラエティ寄りの番組だった。

 

その番組をスマホでみながら、私は愛媛の国道をドライブしている。海と山が近く、ニュースの言った通り、どこを見ても毛細血管のように道がはりめぐらされ、建物よりも交差点が多いくらいである。その景色はせっかくの豊かな自然を台無しにしているとも言えるし、またこれはこれで風変わりな趣があるとも思える。頭にすごろくゲームのイメージが浮かび、ボードの上を車は駒のようにすばやく運ばれていく。その様子を鳥瞰でみていた。

主観にもどると、いつの間にか私は助手席に乗って、旧友がとなりでハンドルを握っていた。彼女は若いころと同じ姿で、年下の自分をリードしようと話題をつぎつぎ投げかけてくる。リアスピーカーからパワーポップが流れ、我々は海に向かって広々とした道をとばした。カラフルなペンキアートが8割がた剥がれた木造のライブハウスを横切り、橋を渡る。10代の終わりにあった解放感と澄んだ空気がそのまま蘇るようで、「愛媛にぶり」がやってくる気配はない。

 

シーンがかわり、私は先ほどのニュース番組のスタジオに来ている。

猫耳のついた帽子をかぶったメインキャスターが椅子から立ち上がり、先ほどのVTRを受け、カメラ目線で語った。

「ぼくはいずれ愛媛で暮らしたいと思っているんです。みなさん、ぼくが常々そう公言してるのはご存知ですよね。いくら愛媛を悪くいわれても気持ちは変わらないですよ」

地方を蔑むような編集をしたスタッフに抗議の意思を示すのだ、というように、彼は両手を頭のうえに伸ばし、猫耳を、ポキッ、ポキッと折ってみせた。みれば猫耳は布ではなく、イカフライでできているようだった。ニュースキャスターがここまで感情的でいいのかと思うが、とはいえこのように怒る人も世の中に必要なのかもしれない。それからスタジオにSSWがゲストで呼ばれ、ギターの弾き語りで歌った。日常の心象を字あまり気味に詰めこんだ、若者の切実な歌。それを聴いたコメンテーターの草彅剛が満面の笑みで拍手を送った。

 

番組が終わり、小さな楽屋に戻ると、あのキャスターがきびしい顔をみせていた。

「さっきの人を呼んできて」と彼が言うと、すぐに歌手が部屋に現れた。上半身裸の私は慌ててTシャツを着た。彼女は髪で顔がかくれるほど低く頭をさげて、少し震えている。キャスターは目をするどくして、ぶつぶつと、独り言のようなトーンで説教をはじめた。どうやら先ほどの歌の歌詞を問題にしたいらしい。気づいてないだろうがあなたの曲には我々の番組にふさわしくない言葉が含まれていたんだ──と。キャスターが歌手を責めるのをみて、今度は自分のなかに義憤が湧いてきた。

いや、歌に問題はなかった。というか、そうやって歌のことばを問題にする考えこそが問題でしょう、と言って、私は彼の頭をおさえつけた。仮に「殺す」という言葉をくり返すだけの歌があってもいい。と言いながら、壁際に追いつめる。歌が場にそぐわないのだとしたら、それは呼んだ側が責任をもつのが筋というものだ。

キャスターはスタジオで感じたよりも背が低く、頭のかたちは不自然なくらい球体にちかい。彼はうろたえた様子で私の脇を抜けて、距離を取ろうとし、そのさいに足がもつれて尻もちをついた。表情は驚きだけを示している。まったく、ただ驚いているだけだった。

そうか、この人は歌にある、鉤括弧つきの表現を理解できないんだ。そう思うと急に気の毒になり、頭が冷めてしまった。もう部屋には私とキャスターの2人しか居ない。立ち上がるのを待って、手を出したことを謝ろうとするが、男はうずくまったまま、床をみつめて動こうとしない。

 

 

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