まるい手鏡を持って自分の顔をみている。ふざけて顔の左側だけ動かしてみると、いつもより眉が高く上がることに気づいた。そのとき、額にボールペンを滑らせ描いたような皺が一本現れた。いつのまに──こんな深い皺ができていたとは知らなかった。じっくり顔をみて表情を変えると、くっきりした線が顔のそこかしこを走っているのが分かった。それらは路線図のようにみな繋がっている。今まで持っていた自己像と鏡の中にいる男とのギャップにうろたえながら、しかし何にしてもこのような経年変化は受け入れるしかない運命なのだから、イメージを現実の方に修正するしかないのだろうと思った。それにしても俺は面白い顔になっていたのだな。でもまあ、おかげで表情がよくわかるし、これはこれでなにか隠し事のない、誠実な人間のようにみえる効果はあるのかもしれない。

くっきりしたその皺に私は愛着を感じはじめたが、よくよく見てみればそれは、路線図というよりは県境や国境のあり様に近いもののように思われた。皺はひとつひとつの区画を示すように囲いをつくり、顔の中でそれぞれの部位が自分たちの居場所を主張している──私にはそのようにみえる。

その直感が正しいとすれば、この新しい皺は顔の内側、下層に眠っている区画を表面化させた地図なのかもしれない。われわれの顔の奥深くには筋肉による別れ目とはまた別種の裂け目が存在していて、若いときにはそれを知ることができないが、なにかの拍子に地割れがおこり線が現れ、それぞれが本当はバラバラだったのだと知らされる。

私はその思いつきを自分で信じこんでいた。そうにちがいない。だからこの皺は、何か必要があって顔を小さく折り畳まなくてはならなくなったとき、確かな折れ線として、いつか役に立つ日が来るだろう。

顔を、折り畳む?一体どうやって?何の必要があって?と、夢の中の私は問うことをしない。

 

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