学生時代に通っていた予備校の講師と高層ホテルにいる。大人になってもまだたくさん先生からは学べることがあるだろう、と私は期待して、いくつか社会情勢について真面目な質問をして水を向ける。しかし何度試みても彼は脈略を欠いた、要領を得ない返事をするばかりだった。原因はたんに自分の理解力不足によるものなのかもしれないが、いずれにしても先生の言葉はなんら具体的なイメージを喚起しない。それを知らない先生は話が通じるているものと信じて、しっかり答えようと言葉を重ねる。そのようにすれ違いながらも、私はその姿を見るだけで満足だった。相手が誰であれ聞かれたら自分の考えをとことん、絞り出すように話す。それが彼の職業倫理であり、私がむかしから好感を持っていたところでもあった。たとえ内容をほとんど理解できなかったとしても。

 

先生は小型のスケッチブックを取り出して、マジックで縦に2本、線路のような線を引き、あいだに直線を何本も走らせた。それから

「この本がなぜ現代まで読み継がれているかと言うと、それは──」と解説し始めた。

なるほど、つまりいま書かれた、朽ちた梯子のような絵だと思われた線の集合は文字、であり、本のタイトルだったというわけだ。改めてその字を眺めてみるが、それは漢字、ひらがな、カタカナに当てはめられる秩序をまるっきり持っていない。いや日本に限らず、これが文字であると感じられる人間が世界に1人でもいるだろうか。

いる。書いた当人がそうだ。だからやはりこれは字とみるのが礼儀なんだろう。

不可解な図形について考えているうちに、話はUFOがどの地域によく現れるかに移っていた。

「先生、今話されているその本はSF小説でしたっけ」と私は言った。

「そうね」と先生は短く答えて、話を続ける。曰くUFOは我々の生活に、密やかによき影響を与えているらしい。たとえば街の交番の中にもUFOはいるんだと先生は言う。私にはその意味がわからない。

 

シーンがとんで私はホテルの外、繁華街に来ている。雑踏のなかでラーメン屋を探すが見つからないのでホテルに戻ろうと携帯をみる。地図アプリで指示された方に顔を向けると、さっきまで居た巨大なホテルがそびえていた。ガラス窓がどれもギラギラと威圧的に光ってみえる。回転ドアを抜け、エントランスに戻り、そこで自分が鍵を持たず出てしまって、部屋番号を忘れていることに気づいた。たしか90から100の間だった気がするが、本当にそうなのか確信を持てない。

そのホテルには受付カウンターがない。奥に職員の休憩室が空間を遮られずに存在し、10名ほどがそこで何かの事務作業をしている。バックヤードがむき出しになっているようでおかしなものだが、それにしては椅子や机がどれも高級品で、雑然としながらも清潔感が保たれている。

ぼんやりと突っ立っている私を1人のフロント(と思われる)女性がみつけ、奥のソファに案内した。

「そうですか。部屋番号をお忘れに。それは困った……」

彼女はまわりに手招きし、新たに3人の女性がやってきて対面に座った。職員の言葉づかいには業務対応というより親戚の子供の面倒をみるときのような憐れみと優しさがある。

「じゃあ思い出すまで待ってみるしかないかなぁ」と1人が言った。

彼女たちは全員ソファの背もたれに体重をのせてくつろいで、互いに雑談さえ交わしている。目の前におかれたカップが湯気を昇らせる。なぜか我々には名前から部屋を照合するという発想がない。話してわかったのは窓の景色から見て、東側の部屋にちがいないことくらいだった。

いくら和やかな雰囲気があるとはいえ、4人の時間を削っていくことになるのだからはやく思い出さなければならないのだが。それにしてもこの人たちは私に気を遣わせないためにあえてリラックスしたポーズをとっているのか、それとも本当に暇で、お茶ついでに客の相手をしてみているだけなのか。観察するうちどうも後者なんじゃないかという気がしてくる。ひとりの職員が私の顔をじっと覗きこむ。催眠術をうけたように、私はその目から視線を逸らせなくなった。左右2つの目はまるでちがう生き物としか思えない。もし〈目〉にそれぞれの意識、精神が宿っているとしたら、この人は2人存在することになる。というか、両目をもつ人間は、ほんとうは誰もが内側で2人居るもなのではないかと、妙な考えにとりつかれるが、すぐにどうでもいい事のように思えてきた。ここのソファは居心地がいいから、こうしているのは悪くない。職員は私を見るのに飽きたようで、近所の美味い店について話をはじめている。

 

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