夕方、工場労働を終えてかえり支度を済ませ、建物を出たところにひとり同僚が佇んでいるのがみえた。この無精髭を生やした年配の男はいつも指導者のように堂々としてはいるが、まるで働かず何をしているのかわからないので日中私は彼を邪魔に感じていたのだった。男は煙草でも吸おうとしているように片手を動かした。けれど、右手に持っているのはライターではなく植物の蔦だった。蔦を握ったまま少しずつ腕をあげ、地を這う枝をプチプチとはがしていく。根を抜き切ったことを確認した男は全体を丸く束ねて、一方の先端を投げ縄のように空中に放り投げると、蔦は吸盤をもつかのように工場の壁にはり付いた。それはもともとそこに生えていたとしか思えないくらいしっかりと、滑りやすそうな壁をつかんでいる。

地面にはまだたくさんの蔦が茂っていた。男はすばやい仕草で枝を拾ってつぎつぎ工場の壁へと移植しはじめた。彼が話すには、自分は植物の投げかたを漢字の部首のような形に記号化していて、それらを正しく組み合わせさえすれば貼りつけ作業はさほど難しいことではないのだそうだ。独自に編みだされた記号は、壁に重なることで「つた字」として文章化されるが、解読できる者はこの男以外にはいない。

蔦はどんどん盛られ、やがて壁はみどりで埋め尽くされた。男は得意げに完成した作品を眺めている。たしかにその仕事は見事なもので、美しく層になったやわらかくそよぐ葉に、私は触れてみたくなる。このぎっしりした密度はまるで動物の毛のようだな、と思っていたら、あっという間に工場は長毛種の猫に変身してしまった。夕陽に照らされているせいか全体が薄紫にあわく光っている、巨大な猫は我々を見下ろしていたけれど、そのうち人に興味を失ったようで、ゆっくり目を閉じてそのまま眠りに入った。

 

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