夢の中で、私はサッカー部の部長になっている。

武田という名前の1年生が部室まで入部の挨拶に来た。私は、よろしく、と肩を叩き、グラウンドに出てパス交換をしたが、間もなく彼が、すでにどこをとっても自分より優れた選手であることがわかった。見たことのない質のロングボールを軽々と蹴ることができるし、トラップはスマートで、目も頭も良さそうだ。

この出会い以来、武田は私を慕って離れたがらなくなった。

それから時が過ぎ、上下関係のこわばりはほぐれ、武田と私はだんだん友達ように会話できる仲になっていった。少なくともそう自分はそう考えていた。ところがあることをきっかけに、我々の親密さにひびが入ってしまう。それはある日、食堂で私がチームメイトのひとりに言った冗談がきっかけだった。

そのメンバーが、私にからかわれたこと傷ついて悩んでいる、と武田が私に告げたのだ。

「先輩がもう嫌になったって」そう言った武田の口調には非難の色があった。

「そうか、まずいこと言ったか。でも悪気はなかったんだよ。冗談が滑ったっていうことでさ」と、私は苦笑いしながら答えた。

武田は黙ってこちらをみているだけだった。おそらく私がいま笑っている、くだけた調子が気に食わないのだろうと思った。そのように問題を冗談半分に流してしまうところにこそ、無意識に火種を撒くあなたの問題があるのだ、というように──。たしかに、もっと真剣に考えて弁明すべきだったかもしれない。不満をもった者がこちらに直接怒れなかったことを重く受け止めて。

私は足元に転がっているボールを蹴って武田にパスをした。いつも通り練習をはじめたいと思ったからだった、けれども武田は背中をみせて無視している。おそらく彼はチームメイトに義憤を感じているというよりは、彼自身がもう私を受け入れられない状態になっているのだとわかった。メンバーの話をしたのはその態度を示すきっかけでしかない。

思い返せば私は今まで武田にも似たようなきつい冗談を投げていたのだった。それが人を楽しませることだと信じて。しかしきっと自分は調子にのって間違い続けていたんだろう。茶化しを冗談にできる土台、信頼はいつの間にかすっかり崩れて、もうとりかえすことはできない。

私は対話を諦め、部を去り、べつな街に引っ越すことを決めた。あとはこの男がうまくやってくれるだろう。

 

引っ越しが終わり、私が消えたあと、夢の視点は武田を中心とした三人称に移った。

私の暮らしていた寮には武田が住むことになったらしい。彼は部屋の窓から川を見ている。川面には1枚の皿──全体は白く、縁の少し内側に黒のラインが入っている丸皿──が浮かんで、奇妙なことに、それはいつまで経っても同じ位置に留まっている。

しかしよくよく目をこらせば、皿には小さな尾びれがついて、それが流されないように上流に向かって泳いでいるのがわかった。魚だったのか。と思ったが、もっと注意してみると、こんどはまた再び無機質な皿にしかみえくなってしまう。こんな生き物は聞いたことがない。

武田が川へ米粒を投げると、それはカランときれいな音をたてて、皿のような魚の上に収まった。さすがのコントロール。彼には空間認識の優れた才能があるのだ。

 

武田は私の送ったミートソースをタッパーから出して、鍋で温めて食べた。

それから外に出て、テレビ局へ向かった。期待の新人サッカー選手としてワイドショーに出演するためだ。番組で年収を聞かれた武田は「ぼくはほとんど金はどうでも良いんです。サッカーが好きなだけですから」といった。その堂々とした態度には、それが定型的なコードを当てはめただけのものでも、質問をはぐらかすためでもなく、本心からそう言っているのだと思わせるだけの誠実さと説得力があった。

「君は立派だねー」と司会者がいって拍手を送ると、オーディエンスが歓声をあげた。

武田はバッグからピンク色の風船(それは花に見えるように捻られ細工されている)を取り出して、番組へのプレゼントですと言った。スタジオの机のまわりにはたくさん風船が飾られていてる。前もってセットを知っていた武田は、雰囲気に合わせようと贈り物を決めておいたのだ。素晴らしい。自分が彼くらいの年にはとてもじゃないがこういった気配りはできなかったし、これからも武田くらいしっかりした人間になるのは無理だろう。それは元々が違うんだから仕方ない。

 

いつの間にか視点はまた一人称に戻って、私は武田の部屋で川を見ている。

やはりあの、皿のような魚がブイのように、同じ位置にじっと浮いていた。米粒をつかみ投げてみると、カランと小気味良い音がなって皿に乗った。この魚は、じぶんの体の上にきた米を食べることができるのかもしれないな。それで餌がもらえるのに味をしめてここに留まっているんじゃないか。だとしたらもう少し食べ物をあげたいと思い、私は部屋の中を探し始めた。

 

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