美術館の地下室で暮らす男の噂を聞いた。その美術館は幅の広い川の中洲にたって両岸とは橋で繋がれている。外観は京都市美術館に似て、和洋折衷の重厚な造り。男はこの川にそびえる美術館への愛にとりつかれてしまい、館長に頼みこんで地下の狭い部屋を寝ぐらにするようになったのだそうだ。昼間は館内の売店で愛想よく働き、客からの評判は悪くない。仕事が終わると彼は自室で美術館の絵を描いている。必要な用事があるとき意外は中洲から出ることがない。

彼の愛するものは美術館とそれをとりまく川の風景であり、美術には関心を持っていないという。描いた絵はラブレターのようなものだし、ラブレター自体を大切にしても仕方ないじゃないですか、というのが男の言い分だ。あくまでも重要なのは美術館の実体なのである。その証拠に彼は館内のいかなる展示物にも興味を示さない。

 

そんな男の展覧会が開かれるというので私はバスに乗って見に行くことにした。場所はもちろん中洲の美術館。ほとんど空が見えないくらい建物で埋めつくされた構図の絵と、燃えるような夕焼けと一体化した真っ赤な美術館の絵が代表作らしい。とはいえそれは批評家たちの決めた話であって、作者自身は作品に優劣をつけないし、完成したらもう自分の絵を見返すことすらしない。

私はひととおり絵を見終えて、売店へ行ってみたが男は居なかった。休日なのだ。ということは地下室で新作を描いているのだろう。丁寧に筆を滑らす気配が建物全体から漂ってくるのを感じる。

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