知人4人と町の大衆食堂にいる。すでに食事を終えているようで、テーブルにはなにも置かれていない。そこに高倉健が現れて、私の隣に座った。病気や怪我があったのだろうか、高倉健の目は落ちくぼみ、唇は腫れあがり皮膚は垂れ、彼が健康を損ねているのは明らかだった。そこに昔の面影を探すのは難しい。それでも名乗ってもいないこの男を、我々が高倉健と認識した決定的な理由は、彼の声だった。かすれているがよく響く低い声は、テレビや映画で聞いた記憶と同じ艶がある。高倉健の物腰はやわらかく、ひとりひとりの話を聞いてはかすかな笑顔を浮かべ、相席が邪魔にならないように気づかっているようにみえた。

「よし、それじゃ茶でも頂くか」と言って高倉健は席を立った。飲み物はセルフサービスらしい。

高倉健が向こうに行ったのをみて、知人のひとりが「健さんにお茶を持ってきてあげたらよかったかもしれないね。いや、誰かがそうするべきだった。ああ見えて健さんはもう老人だし、歩くのも遅い。そういう人にはすすんで手伝いをしないといけない。そうだよね。この先同じことが起こらないように、今のミスをしっかり反省しよう。もちろん俺を含めての話だ」と言った。

お茶汲みを手伝えなかった至らなさを埋め合わせるように、彼は高倉健の席にようかんを注文した。1人だけで食べてもらうのは不自然だからと、他の3人もようかんを頼んだ。「君も食べるよね」と言われたが、腹は減っていないし、どうも全員でようかんを食べるのもおかしな話ではないかと思い、私は断った。高倉健がお茶を持ってきて、ドンと音を立ててテーブルの中央に置いた。それは今までに私が見たどれよりも大きな湯呑み茶碗だった。

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