バス停の待合所にいる。古びた木造建築の二階座敷。私の他に2つのグループがそれほど広くない場所を分け合っている。あぐらをかいて夜の景色を眺めていると、80くらいのおばあさんが耳打ちするように手を口に添えて「あなたのところはどのような亡くなり方で」と言った。どうやらここにいる人々はバスではなく葬儀を待っているようだ。気づけば部屋の中央には棺桶が置いてある。ひとりで来た私は彼女の質問に答えることができない。

2組の遺族はそれぞれの故人の過去について語り合い、「最後の挨拶」をするために、みんなで棺桶のふちに手をやって蓋を開けようとしている。バスを待っているだけなのに知らない人の死体を見ることになるとは、おかしな場所に迷い込んでしまったものだ。彼らは協力して遺体を起こし、正面を私のほうに向けた。そのひとは小柄なおじいさんで、目は落ちくぼみ、肌は蝋を塗ったようにのっぺりと白い。死人にしか見えないが、しかしおじいさんは、口をもごもごさせたり、支える人の手の感触をくすぐったそうに体を微妙によじったりと、常に体のどこかしらを動かしている。なんだ、生きてるんじゃないか。じゃあみんなの演技に騙されていたのか。と思うが、おそらくこれは騙す騙さないの話ではなくて映画を撮影しているのだろうと気がついた。そうだとすれば、遺体役の演技はあまりにも拙過ぎる。こんなによく動く死体がスクリーンに現れたなら、物語の出来に拘らず、観客はすぐ笑い出してしまうにちがいない。

私は階段を降りて下で待つことにした。降りてみるとそこは神社の拝殿のような造りの建物で、四方から湿気を帯びた風が入ってくる。これは一雨来るんじゃないか、と考えたとたん風が唸り、いきなりバケツをひっくり返したような豪雨になった。通り雨ならしばらく待てばやむだろう。けれどなぜか私は、この雨は一晩つづくし、もうバスが来ないことを確信していた。透明のビニール傘をさして、黒いアスファルトにむかって足を出した。傘が破れそうな程の衝撃が手に走ったけれど、この状況につかれは感じず、激しい水の音はむしろ気分をすっきりさせてくれた。

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