かつて自分が作ったゲームの街(シムシティのようなもの)に、入りこむ夢。
コントローラーで操作するのではなく、私はその街のなかに住人として存在し散策している。歩いている現実感は確かにあるのだけど、一方ではゲームをしている感覚も半分あり、その街自体もゲームか現実か判断しづらい曖昧さに包まれている。が、夢のなかの私はそれを不思議に思わず、あまりに長く放っておいたからゲームが現実に成長したのだな、というような感じで納得している。10年以上前のことなので作った時の状況はほとんど全て忘れてしまっているのだけど、あたりをみまわして、そこが祖父母が暮らしていた団地に似ていることに気づく。

街のシステムには、いくつか工程を踏めば住民がアイテムを自由に作れる、というバグがあり、そこに気づいた女子中学生の集団が、気まぐれに特殊な武器なんかを生産しているようだ。世界のほころびを楽しむのみで実利を求めないという彼女たちの性格によって、これまで何も事件は起きていないし、秘密は他にはもれていないけれども、その力は彼女たちの成長により、いずれ微妙に街の政治に影響を与えていくだろうという予感が漂う。

もうひとつのバグが、子供に与えようと望めば金が無から(30万円まで)現れる、というもので、こちらのほうは広まり、致命的なバグとして騒ぎになっている。与えた者が子供から金を返してもらうことはできないので大金を子供が自由に使ってしまうことになり、これが小学校なんかで問題に上がっているようだ。住民の自制心により表にでたのはまだ一件だけらしいが、自制しなければいつでもできるのだからいつタガが外れて連鎖的に続くか知れない。

そのことについて、私は街のお偉いさん方から叱られ、政治責任を問われている。何度も謝るが、適当に作ったゲームで、マニュアルも失われているから、もうどういう風に修正していいのかもみえない。
1人の老人が「このゲームは悪い意味でうさんくさいと評判がたってしまったから、これから人は減っていくだろう」と苦い顔でいう。悪い意味で、に強いアクセントをつけて。

悪いことをしてしまったと責任を感じようとはするけど、考えてみれば何が悪いのかはよくわからない。それより心の中心にあるのは街への懐かしさだ。ここに住むのも悪くないかもしれないな、と私は思っている。